木村拓也 宮崎の名選手 その3

宮崎出身のプロ野球の名選手

木村拓也

木村拓也

木村拓也選手のステータス

生年月日: 1972年4月15日 出生地: 宮崎県 宮崎市 ポジション:内、外野手、捕手

プロ入り:1990年 ドラフト外 日本ハムファイターズ 宮崎南高校卒業 

2004年アテネ五輪代表 2008年通算1000本安打 2009年引退 2010年くも膜下出血で急死

1990年 日本ハム → 1994年 広島東洋カープ → 2007年 読売巨人

通算成績:出場試合 1523試合 4000打数 1049安打 495得点 通算打率:262

プレースタイル

【プロ野球選手物語】最強のユーティリティープレイヤー II 木村拓也 【感動】
木村拓也選手

シーズン打率3割もゴールデングラブ賞も獲得していないが、「俊足・強肩・巧打」と、攻守ともに優れたユーティリティープレイヤーとして重宝された選手だった。2006年の代打成功率は4割を超え、かつて「代打の神様」と呼ばれた八木裕は「代打で結果を残すスイッチヒッターは怖い」と絶賛した。

ユーティリティプレイヤーになっていく過程は、ドラフト外でのプロ入りから始まり、球団から目をかけてもらえない日々が続いたことで「チームで空いているポジションを探して、そこに入ろうとした」結果である。ドラフト外のプロ入りについて「今で言う育成選手ですよ」というコメントをしており、「後に続く人たち(育成選手を含む若手)の目標になりたい」と語っていた。

バントが巧く、無死や塁上にランナーがいない場面でも積極的にセーフティバントを試み、実際に成功させたこともあった。盗塁に関しては、巨人移籍後は広島時代のように積極的に企図する機会は減ったものの、俊足は健在で守備範囲も広かった。

前述のとおり肩も非常に強く、外野守備時には度々矢のような送球を見せた。広島で長期にわたってリードオフマンを任され、巨人移籍後も2番などの上位打線を打つ機会が多かった点にもこうした小技や堅実さが優れていたという理由がある。

広島に在籍していた頃は長打を意識するあまり、前述のように三振数が多いことが大きな課題であったが、巨人移籍後はその傾向が改善された。得点圏での勝負強さや確実性のみならず、出塁率や得点圏打率も大幅に向上した。

小技も巧みにつかい、2009年の日本シリーズでは第1戦の7回表、スクイズと見せかけてわざと空振りし、相手バッテリーを油断させた隙に一塁走者を進める偽装スクイズを成功させた(直後、李のタイムリーで追加点)。

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