日南学園の特徴と県の高校野球にもたらした変化

宮崎の高校野球名勝負名チームの記録

日南学園が台頭してから宮崎県の高校野球の質が変わった

日南学園が甲子園に初出場して春夏連続出場を成し遂げた後は、宮崎県の高校野球は日南学園が引っ張っていくようになりました。他の学校が日南学園を倒すことを意識するようになり

今までは県勢の打撃力は明らかに甲子園のレベルでは物足りないところがあったのですが、どこも打撃に力を入れるようになり、日南学園の小川監督も他校に自分の知識や指導力を出し惜しみすることはしませんでした。

そのため他校にも育成する技術が浸透していって、宮崎県内の高校の野球のレベルは明らかに向上しました。甲子園への出場権を獲得した学校は、どこがでても、他の県の代表校と対戦しても、互角に戦えるようになりました。

日南学園は大阪などの関西から素材のいい選手を沢山招き入れて、レギュラーのベンチ入りする選手の約半分は県外の選手というチーム構成で、残りは市内や県内から自分から志願した人や、スカウトされた人が集まってきていました。

小川監督は選手を育てるのがとても上手だったので、下級生の頃はまだ芽が出ていないような選手もきっちり鍛え上げて、3年になったころには見違えるような実力を身に付けて試合で闘える戦力になっていました。

寺原投手など、中学時代は素材だけが凄くて、まだ能力が開花していないような選手も、小川監督はよく目に付けて、選手にあった育成方法で、しっかり能力を引き延ばして、全国で注目されるような選手に仕立て上げました。

日南学園は何年かおきに、甲子園でも上位を目指せるような大型のチームができることが多くて、初出場の3年後には、強打者の赤田選手を擁して、夏の甲子園で3回戦進出を果たしました。その翌年も明治神宮高校野球大会で優勝して、選抜甲子園で優勝候補に名を連ねました。

小川監督が育てたチームは、個性的でよく鍛え上げられていて、プレーには華がある選手が多い印象が有ります。すごく速いボールを投げる剛速球投手や、技巧派のスリークウォーターの投手がいたり、鋭い変化球を投げる左腕がいたりするし、左打ちの俊足の選手でそろえたチームがでてきたり、好投手を何人も擁するチームがでてきたりもします。

特にバッティング力は甲子園のレベルで比較しても実力が高くて、広角に打てる選手がいたり、観衆をうならせるようなものを持っていると思います。

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