準優勝後の延岡学園2

宮崎の高校野球名勝負名チームの記録

秋の1年生大会で小幡選手の存在を初めて認知した

都城高校に敗れて3年生が引退して、新しいメンバーに選手が入れ替わりました。その後しばらくしてから、秋に毎年行われる1年生大会が有り、そのレギュラーのメンバーには、プロに進んだ小幡選手が名前を連ねていて、掲示板にも、大分から長身のセンスがいい選手が入ってきたらしいという情報が書き込まれて、その時に小幡選手を一番最後に認識することができました。1年生大会は決勝まで順当に勝ち上がって、決勝で宮崎工業を僅差で破って優勝しました。

延岡学園時代の小幡竜平選手

藤谷世代の延岡学園

2年生には藤谷選手などの好投手がいて、1年生には好素材の野手が揃っていたので、戦力的には十分期待できるメンバーでしたが、なかなか全国の舞台にたどり着くことができずに、安定した成績で夏の予選の第一シードを勝ち取ったものの、宮崎県予選の場合、この第一シードというのが厄介で、他校から厳しいマークにあって、なかなか優勝にたどり着けないといわれているようなポジションでした。結局夏は好投手に抑え込まれて、序盤で敗退してしまいました。

延岡学園の藤谷勇介投手

有力世代の延岡学園

そして有力選手がひしめく世代に引き継がれました

前半は重本監督が指導をしていた

甲子園準優勝を果たした元延岡学園の重本浩司監督

重本浩司監督は甲子園の大舞台に強い監督です。重本監督が就任する以前の延岡学園は、県内の試合ではめっぽう強くて、強豪の一角として君臨していました。しかし全国の舞台になると、いきなりおとなしくなり実力を十分出し切れずに、序盤で姿を消すことがほとんどでした。 

重本監督が就任すると、2010年の夏の甲子園では緒戦に勝利して1勝を上げて、2013年の夏の甲子園では、とんとん拍子で勝ち進んで準優勝を果たしました。こんなに全国で結果を残せるようになったのは、

以前に監督をされていた、現聖心ウルスラ学園の小田原仁監督や甲子園優勝監督の元西日本短大付属高校の濱崎満重監督でも、できなかったことでした。

重本監督は、選手たちの生活態度を細かく指導して、当たり前のことを当たり前にこなしたり、住民の役にたったりすることで、周りの人から応援されるような野球部にすることを心がけていました。

2013年の夏は普段から選手達がしっかりした行動をとることで、周囲から支えてもらったり、チームもうまくまとまって、実力以上の力が出せるようになって、勢いに乗って勝ち上がることができました。

重本監督が理想に掲げている野球は、しっかりしたバッテリーと、守備力を身に付けて、攻撃では粘り強く相手に食い下がり、ワンチャンスをものにして畳みかけて試合を決めるような、チームが一丸となって勝利を目指す野球のような印象が有ります。

準優勝した後に、ユニフォームを公立高校のような純白のものに替えてみたり、どこか重本監督の出身県である広島県の名門の広島商業や愛媛の松山商業をイメージしているような印象です。

こういうチームカラーなので、試合内容は、あまり相手を圧倒して派手に勝つというものは少なくて、序盤は落ち着いた試合運びで、終盤に相手が崩れてきたところを攻め立てて流れを呼び込んで勝っている内容が多いところが有ります。

新チームになってからも、重本監督は大舞台に立った時のことを常に意識して、きめ細かい野球を選手に指導していました。しかしそこに難しい問題が立ちはだかりました。

ちょうどその時期は九州では、熊本の秀岳館高校が九州を圧巻していて、打力を鍛えぬいて、パワーで相手を圧倒するような野球で他校を寄せ付けませんでした。その影響を受けて、九州のチームは打力を鍛えないと上位に勝ち進むことができないということが、どこの学校にも浸透していて、打力を磨いているチームが目立っているような時期でした。

そのため重本監督のスタイルは、少しでもミスをして、相手に勢いを与えると、大きなダメージを受けて取り返しがつかなくなる恐れがありました。新チームは打撃や守備のセンスに優れた選手がたくさんいましたが、投手力に関しては、エースは剛速球を投げられる力は無くて、変化球やマウンド度胸や戦術で勝負するような投手で、相手が上位クラスの打線の場合、掴まってしまうしまう危険がありました。

三浦監督に途中で監督が交代した

新チームになってしばらくは、普通の高校相手でも、相手を圧倒して勝つことができずに、相手の強化された打撃力に苦戦を強いられて、際どい勝ち方をしたり、負けてしまうことも有りました。

秋季の選抜大会の予選にあたる県大会が近づいてきて、その前に地区の予選があって、苦戦をしていたので、重本監督のままで甲子園まで勝ち進むことができるのか?という空気になってきて、延岡学園を取り巻く環境は監督を別な人に替えたほうがいい結果が出るようになるかもしれないという風に流れが変わっていったもののように思われます。しばらくしてから新聞に重本監督が監督を辞任という記事が載って、プロ野球で打撃コーチとして指導に当たっていた三浦正行監督に監督を交代することが決まりました。

三浦監督は選手の野球へのモチベーション大事にしていて、打撃の楽しさを選手に教えて、選手の自主性に任せるようにしました。そうすると、選手が試合で実力を発揮できるようになり大会本番を迎えると、序盤から大量得点を奪って、主導権を握って相手を圧倒して勝ち上がれるようになりました。

延岡学園を選抜高校野球出場に導いた三浦正行監督

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