小学校の剣道クラブに入会する
私が剣を握ったのは、小学校2年の時で、私が小学校から小学校の体育館で運営されている剣道クラブの勧誘のチラシを持ち帰ったときに、祖母が剣道はいいから入ったほうがいいと私の母親に説得したことで私はその剣道クラブに入会することになりました。
当時は総勢60人近くいる大所帯で、6年生が特に多くてすごく活気が溢れていて、賑わっていました。先生は全員で4人在籍していて、入門者を担当している、優しくて背の高いお爺ちゃん先生が、会長をされていました。
その他に低学年の担当の先生が2名、高学年の担当は迫力のある若い先生が任されていました。私と一緒に入会した人は沢山いて、みんな同じような足さばきの練習からやらされていました。しばらくして剣道は合わないといって辞める人も多くいて、最終学年まで残った人達は、その後も剣道を継続しています。
入部したての頃の私
私は半強制的に練習に行かされていたので、モチベーションは低くて、かなり態度はいい加減でした。練習の時は始めに名簿にチェックを入れてから始めるのですが、夏休み中は出席確認が無かったので、私はいつでも休んでいいものと思い込み、夏休みはほとんど練習をさぼっていました。
たまたま練習に参加したときに、先生に切り返しをするように言われて、全然できていなくてこっぴどく怒られました。毎年昇級診査が開かれ、当時は道場連盟の昇級診査と学校連盟の昇級診査に分かれていて、道場連盟の昇級診査で小学2年生は8級を取るようになっていて他の人たちは8級の下のランクを取っているのに自分だけ8級の上で、明らかに劣るランクを付けられました。
そのころはあまり試合にも参加させてもらえずに、出れても下級生と混同のチームにBチームやCチームとして出させてもらいました。試合に勝った記憶は無くて、負けても強くなりたいという気持ちも起きずに剣道をさせられているような感覚を持った状態でした。
自分の同学年には、1年生から始めて、剣道へのモチベーションが高くて強い人が在籍していました。幼稚園のころから始めている女の子もいて、声が大きくてきびきび動いて、先輩達からも評判がいい人でした。大会でも沢山賞をもらっていて、凄いなと憧れましたが、練習がきつくて、あまり剣道が好きという気分にはなれませんでした。
6年生がとてもしっかりしていた
当時の高学年の人達は大人っぽい雰囲気をしていて、低学年の子を支える役割を果たしていました。夏に毎年行われるキャンプや活動資金を稼ぐための廃品回収なども高学年の人たちがリーダーシップを発揮していました。
先生の印象
剣道クラブに在籍していた先生は、会長は背が高くて優しいお爺ちゃん先生で、稽古中に怒られることはなく、掛かり稽古中も膝を曲げて、打ちやすいようにしてもらえるような人で、いつも背後で見守っているよな印象の人でした。年をとってからも全然見た目が変わらず、若々しい感じの人でした。
低学年を指導していた人は、やはり気が優しい人で温かみがある人でした。途中で他の小学校の指導に移ることになり、その時に一冊のノートをもらいました。
高学年を指導していた人は、見た目もパンチパーマでサングラスを掛けていて、体つきは骨太でいつも大きな声を張り上げて迫力がある人でした。指導ぶりは熱くて、いつも剣道をよく研究しているような感じの人で、発想は斬新で今でも心に残っているような言葉を仰るような人でした。
先生が学校の体育館に来るときは、必ず独特の車の音がするので、はっきり先生が来たということが分かるものでした。先生が来ると、一気に体育館内の空気が引き締まって、張り詰めた緊張感のもと稽古が行われました。
教え子を強い人に育てたいという気持ちが強い人で、全然子供達に妥協することが無く厳しいものでしたが父兄からの信頼は厚くて、頼りになる人でした。
先生の指導があまりにも熱いので、6年生の先輩は試合で結果を出さないといけないようなプレッシャーを感じてしまうような状態でした。それでも厳しい稽古を積み重ねているのでみんな地力があって大会で優勝することが多くて、先生の期待によく応えていたと思います。
厳しい稽古を積み重ねて低学年生の面倒をしっかり見ていた6年生は雰囲気が大人びていて、剣道もどこか小学生離れしていて洗練されて堂々としたものでした。
稽古以外のイベント
稽古以外にも、大会やキャンプやレクレーションなどの行事が多くて、辛いことも沢山有りましたが、楽しかった思い出も沢山残っています。キャンプは隣の町の公園にある公民館で行われ、昼間は公園でソフトボールをみんなでしていました。夜は子供達を班に分けて、班同士で対抗して出し物を競い合っていました。その後一泊した後片づけをして解散しました。
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