高校の剣道部に入部

剣道の思い出

受験する高校を選ぶ

中学校の剣道部を引退してから、高校受験に入り進学先のことを考えるようになりました。私は当時県内で活躍していた宮崎北高校や都城東高校や高千穂高校の剣道には憧れる気持ちはありましたが、そこまで、強豪校に進学するくらいの、力量や覚悟が備わっていたかというと微妙なところで、強豪校に進学した先輩とかから、練習中に吐いたなどとても厳しい稽古をしているという話を聞くたびに、そこまでして行く必要は無いという気持ちになっていて、一方で私の父親は勉強ができる人で実力で九州大学まで進学したような人なので、当時学校の成績が良かった私は勉強のほうを伸ばそうと思って、迷わずに地元の両親が卒業している高校に進学しました。

地元の公立進学校に入学

剣道部内の雰囲気

私が進学した地元の公立進学校では、2年上の中学校の剣道部で同じだった憧れの先輩も在籍していて、私も迷わず剣道部に在籍することを決めました。そこまで剣道には力を入れていない所だったので先生は月に何回かしかきてくれないし、練習メニューは自分達で話し合って決めるような部活動でした。練習はやる時はきっちりやって、時には各自で筋トレをやってみたり、ある日はミーティングだけで終わったり、部室でゲームをしていたりしました。

1年生の頃

私の中学校で同じだった先輩は夏の県大会で個人戦でベスト8まで勝ち進み九州大会に出場を果たしました。中学校の頃から大将を務めていて、高校でも大将を務めていて、強豪校の大将とも互角以上の試合を展開していて凄い人だと思っていました。

2年生の頃

その人が引退された後は新チームに代わり、新チームの新しいキャプテンもやはり綺麗な剣道をする真面目な雰囲気の人で、剣道が素直すぎて試合では、技巧的な選手に負けることも多かったのですが剣道そのものの動きが綺麗で質が高いので、先生からもお手本のような扱いを受けていました。

私は彼の綺麗な剣道をイメージして稽古に励んでいました。大会にも年に何回かは出させてもらい、都城東高校の練習や宮崎北高校の練習にも連れて行ってもらって、練習に参加させてもらいました。都城東高校は先生が上段構えの名手で指導力が高い人で

彼が教えた選手は、入部したときはそこまでの選手ではなくても、卒業するころには、鋭い技が出せる強い選手になっていました。練習内容は厳しくてしっかりしたメニューでした。道場の広さを十分生かして端から端までの連続面打ちをたくさんやらされました

宮崎北高校は全日本剣道選手権大会のタイトルホルダーである外山光利先生が強豪に育て上げた公立進学校です。私が練習に参加したころは、外山先生は他校に転勤になっていて、新しい先生が引き継いでいました。

宮崎北高校の練習は時間は短くて効率がいいような印象を持ちました。県内の色々な地方から実績のある選手が集まってきていて、最初から強いチームができて県内では高千穂高校と毎年競い合うような高校でした。

練習中は休憩時間がしっかり確保されていて、強豪のイメージとは違ってあまり肉体的な負担を感じないような内容でした。

私たちのチームはあまり強いとは言えなくて、大会の上位を狙っているわけでもなくて、機会が与えられるだけでも、十分有難いような環境でした。剣道よりも勉強が優先されるようなところで、宮崎県の公立高校は課外授業がやたら多くて、1日中勉強に追われて、あまり剣道には意識を向けられなかったと思います。

私は学校の勉強だけでは体がなまるので、練習には毎日にように顔を出していました。仲間と談笑することで気分がほぐれたりできて、勉強の調子にもいい影響を与えていました。高校時代には家の周囲をランニングすることを日課にして毎日5km位走りこみました。

自分達の新チームに引き継がれる

先輩の世代も県大会では相手にあっさり負けて、私たちの世代に引き継がれました。私は当時しっかりしていないところが有ったので、自分からはキャプテンになることは拒否して他のしっかりした人に任せてもらっていました。

私たちの世代も大会では対戦相手に勝利することはあまり無かったのですが、各自で自主トレしたりして活動は続けていました。

九州選抜高校剣道大会の個人戦に出場を果たす

冬に選抜大会の県予選があり、初日に個人戦が有り、私は個人戦に出場しました。私は当日は調子が良くて、今までランニングをずっとやってきていたので体のキレが良くて、対戦相手もそこまで強い人ではなくてベスト8まで勝ち進み九州選抜剣道選手権大会の出場資格を得ることができました。

九州選抜剣道大会はそれから1か月後に熊本県の小国町のアリーナで行われ、私は剣道部の顧問の先生に引率されて前日に県内の同じく個人戦に出場する選手と同じ部屋に宿泊して次の日の本大会を迎えました。

同じ部屋に泊まった鵬翔高校の選手とは談笑して仲良くなり個人戦が始まる前に練習に参加させてもらい、体を慣らしました。鵬翔高校の練習は監督のこだわりが強いところがあって、竹刀の振りを大きくするように指導を受けました。

私の対戦相手は龍谷高校の江頭勇輔選手に決まっていて、先生が既に江頭選手の練習を見に行っていて、「お前の相手の江頭! あいつはいい! あれはいいぞ~」としきりに仰っているのを記憶しています。

江頭選手との試合に向けて私はやる気満々、勝つ気も満々だったのですが、試合が開始してあっという間に引き面を2本奪われて負けてしまいました。圧倒的な地力の違いを感じるような内容で私には打たれた感触も無くて、きずいたら相手のほうに旗が3本上がっていました。

その後しばらく相手の試合を見学してその強さを目に焼き付けて、先生の帰る準備の合図とともに地元に帰りました

大会が終わって引退まで

帰った後は、だんだん勉強のほうが受験のムードが強まってきていて、剣道どころでは無くなってきていて受験勉強に追われるようになっていきました。

3年生に上がったときの夏の県大会にも出場して、緒戦に勝って、選抜予選でベスト16で当たった相手と再戦することになり、今度は不可解な反則を2回受けて反則負けで引退することになりました。

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