引き運が強かった大会

剣道の思い出

延岡の大会の緒戦はくじ運に恵まれた

2年次の大会では緒戦で熊本の九州学院中と対戦

延岡の大会は新しい学年に上がって間もない時期に延岡市内の体育館で行われる大会だが、私たちは前日に練習試合をしてその日は旅館に宿泊をして次の日に試合本番を迎えるというスタイルでした。

私が2年生の時に旅館で一緒になったのは、今ではすっかり剣道界で有名になっている九州学院中学校でした。旅館の中で顔を合わせることはなかったのですが次の日の大会の初戦で対戦することが決まり私は多少動揺しました。

九州学院は当時独特のカリスマ的な存在感を持っていて、熊本遠征でも九州学院にはなかなかお目に掛かれませんでした。しかし強豪ぞろいの熊本県勢でも毎年のように県大会の優勝候補に連ねてくる強豪中の強豪でした。

九州の中学校は公立校がほとんどだが、九州学院は珍しいスポーツ強化タイプの私立中学校です。いざ対戦することが決まって九州学院の選手が私たちの近くでウォームアップを始めて相手を見た時に、九州学院の独特の装飾が施されている、真ん中に九州学院のエンブレムが彫られていてかっこいい胴を着用していて、袴には裏側に敬天愛人と刺繍されていて

見るからに強そうな風貌をみんなしていて、こんな学校と対戦できて凄いと私は思いました。私の対戦相手の垂れネームを見ると「内村」と刺繍されていました。私は今では全日本剣道選手権のタイトルホルダーとして第一人者として活躍されている内村選手と対戦する機会を今回得ることができました。

内村選手との試合が始まり、相手の剣を交えて感じたのは、内村選手の剣風は癖があまりなくてどっしり落ち着いているので実力が有る割には組みしやすいということでした。内村選手は自分からガンガンスピードを生かして攻め込んでくるタイプでは当時は無くて、相手の様子や力の感触を良く感じ取ってから仕掛けてくる印象の選手でした。

私は何とか相手に食い下がり、こちらからも積極的に攻めていって攻撃をさせられる間を与えないようにして、試合時間の3分が過ぎて引き分けに終わりました。後ろの選手は相手のほうが実力が格上で、地力の差を見せつけられて私たちのチームは緒戦で負けてしまいました。

3年次の大会では緒戦で福岡の如水館と対戦

3年生の新チームになってからも延岡の大会に参加することになり、今度の対戦相手は福岡の如水館でした。福岡如水館は小学時代の全国少年剣道大会の優勝を果たしたチームで、優勝を果たしたメンバーがごっそり名を連ねていました。

福岡如水館の剣風は洗練されていて、みんな積極的に技を出してきて思い切りがいいチームという印象を強く持ちました。剣道が柔らかくて、一人ひとりが型にはまっていなくて相手の動きに良く対応して技が自然な感じで出るようなチームで独特の魅力を持ったチームであると感じました。

先鋒戦は相手に攻め込んでいって、食らいついて1本を取られずに引き分けに終わり。後衛陣が負けて私たちのチームは緒戦で姿を消しました。結果は残念な成績でしたが、この両チームと対戦することができて、貴重な経験をすることができたと私は思います。

興梠舞さんに五人抜きをされた

宮崎の道場主催の勝ち抜き剣道大会で興梠さんを擁する道場に5人抜きをされて敗退した

新チームになってから宮崎市で毎年市内の道場主催の勝ち抜き剣道大会が行われていて私たちのチームは緒戦で興梠舞さんを擁する道場と対戦することになりました。興梠さんの道場とは小学校時代から何回か対戦する機会があり、とても強くて対戦成績は分が悪かったと思います。

その大会で興梠さんは中学生男女混同の部のAチームの先鋒としてエントリーしていて、私は中堅として出場していました。興梠さんの剣道はひたすら洗練されていて上手いという印象が有ります。

女性らしい剣道で強いフィジカルでガンガン攻めてくる感じではなくて、いつも技が冴えているし、どの技も精度が高くて1本を簡単に決め切れるし、相手の動きに応じた的確な裁きをしてくるしこちらから下手に攻めていけばいつでも切り返されるような雰囲気を持っていました。引き技も良く決めれる人で、引き胴とかも良く決めていました。

私たちのチームはあっという間に2人が抜かれて、中堅戦になり、私も実力が及ばなくて2本奪われて、結局大将まで抜かれて敗退しました。

興梠さんのチームはその後も勝ち上がってその大会を優勝してしまいました。その大会はほとんど興梠さんが相手を抜き去って一人で優勝までもっていったような大会でした。

興梠さんは色々記事とかで調べていくと、彼女は幼稚園のころから、道場の館長をしている父親のマンツーマンの指導を受けて鍛え上げていたようです。とにかく何もかもがモノが違っていて圧倒された印象です。

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