最上学年になって

剣道の思い出

6年生になって洗礼を浴びる

前の6年生が卒業していって、いよいよ自分達が最上学年になりました。新しく入部してきた新入生の父兄の人が剣道経験者だったので、その人が自分達を指導してくれるようになりました。

最初に剣道クラブの最上学年生が進級した証として毎年恒例で行われる円陣を組んでの相掛り稽古を一人ずつ行いました。この稽古は最上学年生が全員で円陣を組んで、2対1で全員分相掛り稽古を行うもので、当クラブの稽古の中で最も辛いといわれていた稽古です。この儀式を全員が終わらせて、6年生としての責任を自覚して1年がスタートするというものでした。

最初に行われた大会は市内の桜の木の花見スポットで有名な神社のある公園の中で行われ、私たちは、緒戦で鹿児島の山田剣友会と対戦することになりました。私は大将としてエントリーしていて、私の相手は小学生にして身長が170cmくらいの榎田選手と対戦しました。

榎田選手は会場の中でも他の剣士とは明らかに剣道の格が違っていて、私は相手の動きに圧倒されてあっという間に2本を奪われて負けました。チームもストレート負けでいきなり洗礼を浴びることになりました。

6年生の頃の部内の雰囲気

前の監督が辞められて、剣道部の雰囲気は幾分穏やかな空気になり、練習回数も週5日から週4日に減らされて、気持ちに余裕ができるようになりました。剣道以外にも活動する時間が増えて友達の家にいって遊ぶことが多くなりました。

今思い出す限りでも、最上学年のシーズンは楽しかった思い出が多いと思います。6月に全日本少年剣道大会の予選が行われるので、その予選を突破するための練習が始まりました。

全日本少年剣道大会の予選が宮崎市で行われ、私たちは、グループの内の6チームだけが出場権を得られる中で、グループ6位で出場権を得ることができました。この予選会では、今は全国屈指の女性剣士として有名な興梠舞さんを擁する道場とも対戦をしています。

全国少年剣道錬成大会に出場する

全日本少年剣道大会の前の日に、焼き肉会が行われて、下級生からエールをもらって、東京へ旅立ちました。全国大会は6年間の剣道生活の集大成でもありますが、人生で初めての東京観光の意味もあって初日から東京ディズニーランドに連れて行ってもらいました。

東京ディズニーランドでは一つのアトラクションで1時間も待たされることに面食らったが、さすがにエンターテイメントで飽きることはなくビッグサンダーマウンテンなどのジェットコースターは今まで味わったことが無い楽しさで、その日は1日中遊びつくして満足して、次の日の大会当日を迎えることになりました。

全日本少年剣道大会は日本武道館で行われました。全国各地から集まってきた選手たちが、一番前の主将がプラカードを掲げて武道場の周りを1周回って定位置について、総理大臣代理などの退屈な話を長時間聞かされて、演武や全体の練習を行った後、試合本番を迎えました。

私たちのチームは、緒戦は北海道、2回戦は岐阜、3回戦は広島、4回戦は熊本のチームと対戦しました。私は緒戦の北海道の道場と対戦したときに、あまりの緊張感故に、全然体が思うように動かずに、相手に技を取られて負けてしまいました。

他の選手が本数を取り返してチームは何とか勝利して、2回戦へとコマを進めました。私はこの緒戦で負けてしまった時に思わず涙を流してしまいました。

2回戦と3回戦は快勝して、4回戦へとコマを進めました。4回戦の相手は熊本の道場で、技が洗練されていて胴技が特にうまくて、相手に胴を2本奪われて負けてしまいました。この大会は福岡の如水館が優勝して幕を閉じました。

最後にもぎ取った初優勝

地元に帰った後も、新しく指導してもらえることになった先生のもとで、今までとうりの練習メニューをこなして、色々な大会に参加をしました。私たちのチームは先鋒と副将の女の子がポイントゲッターになっていて、全員そこそこ実力があって、大会の入賞も十分狙える力量は有りましたが、対戦相手もレベルが高くてなかなか思うような結果を出すことができませんでした。

一方で女子が3人編成で出場する女子の部は、3人とも実力がある人がエントリーして、出る大会出る大会優勝をかっさらっていきました。

そうこうしているうちにとうとう最後の大会がやってきて、その大会は近くの地域の神社の芝生で行われ、私たちのチームはようやく優勝を飾ることができました。私は決勝戦で相手の面を引いてかわしつつ小手を打つという難しい技が一本になり、勝利に貢献することができました。

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