著者 鈴木俊隆
訳 松永太郎
本書を読んでもらいたい対象の人
・物質信仰主義の世の中で自分の生きる目的があいまいになっている人。
・本来の自分と向き合うことで、他人からの依存や誘惑を断ち切りたい人
・自分主体で意識をコントロールして行動できるようになりたい人。
・利己主義的な生き方から、人とのつながりを大切にする利他的な生き方に変えていきたい人
・周囲の人に振り回されずに、自分の心の感じるままに自然体で生きれるようになりたい人
重要ポイント⑴
[引用]「誰かになにかをいう。 すると相手は、それを受け入れないときがある。 しかしそうしたときに、知的に理解させようとしてはいけない。 議論してもいけない。 ただ彼の反対の意見を聞き、 自分が間違って いることに気がつくまで、 待つのがよい。
ある考えを押しつけようとするのでは なく、 その人とともに考えるのです。なにもいわないことは、とてもいいことですが、 いつも沈黙を守るべき、 という理由もありません。なにかを しないことをも含んだ行為、 これが私たちの修行です。」[引用終]
解説
現代の日本人の会話では、相手を論破して説得するのが、交渉力があると解釈する人が多いですが、このやり方は相手の人格の尊重という点において配慮に欠けているところが有ります。相手の意見をしっかり聞いて相手にしっかり考えさせる余裕を与えて、間違いに気付かせる時間を与えることによって、相手も動揺することなく、自分の意見を聞いてもらうことができます。
重要ポイント(2)
[引用]「心も身体も全部、自分の今行っていることに集中します。 主観的にも客観的にも、自己に、特に自分の感情に忠実になるべきです。あまり気分がよくないときは、どんな執着も、意図もなしに、 そう表わしたほうがよいのです。
「 すみません、気分がよくありません」 それで十分です。「あなたがそうしたのだ!」というのはいいすぎです。「ごめんなさい。怒っている」というのです。怒っているときに、怒っていないという必要はありません。「 私は怒っている」。 それで十分です。真のコミュニケーションは、 たがいに率直であることです。」[引用終]
解説
現代の日本人の傾向として、感情を抑えすぎて悶々と悩んでしまうことが有ります。この状態では、相手側からしても、状態がわかりずらく対処がしづらくなってしまいます。
お互いにどういう気分でいるかを言葉にしてしまったほうが、わかりやすく気楽に交流することが可能になります。自分の感情に嘘をつくのは、精神的にあまり良くないと考えられます。
重要ポイント(3)
[引用]「自分自身に対して、 きわめて自然であること、 そしてほかの人のいうことや、 ふるまいにもっとも適切な仕方で対処することは、 とても難しいことです。 意図的に自分を適応させようとすると、 自然であることは不可能になり ます。
もし一定の仕方で自分を 適応させようとすると、 自分を失います。 意図的な、かっこうのいいやり方で、 自分を適応させるのではなく、自分をありのままに自由 に表現することは、 あなた自身を、 そしてほかの人々を幸福にするうえでもっとも大事なことです。 あなたはそのような力を、 坐禅 によって、 身につけることができるでしょう。」[引用終]
解説
人はどうしても他人にかっこよく見られたいという心理が働いて、思ってもみないような行動をとってしまいがちですが、こういう行動は不自然なので、ぎこちない印象を与えて、あまり人をいい気分にしません。
座禅を身に付けることで、そういう心の働きを抑えて自然体で行動することができるようになります
重要ポイント(4)
[引用]「禅では、 私たちは、 態度、 あるいは行動に重きをおきます。 行動といっても、 ある特定の場合に、 どのようにふるまうべきか、 といったことではありませ ん。 むしろ、自分自身のもっとも自然な表現をさすのです。
私たちは、 率直さを重視します。自分の感情、 自分の心に正直になり、 なにも隠さずに、 自分自身を表現すべきです。」[引用終]
解説
現代の日本人の傾向として、頭でよく考えて納得してから行動するということがあります。このスタイルは合理的で失敗が少ない長所が有りますが、臨機応変という部分においてやや時間がかかってしまうところが有ります。
一方禅の考え方は、その時の心の働きを重視し、その働きのままに行動することに重きを置いています。普段から経験を積み重ねて、心を鍛え上げて、いざという時にいい判断ができるような状態にしていきます。
重要ポイント(5)
[引用]「一つの川全体、あるいは一つの心全体は、空性です。この理解に到達すれば、 人生の本当の意味を見つけることができます。 この理解に達すると、人生の美しさを見ることができます。この事実に達する前、 私たちの見るものはすべて坐禅によってこのような感覚を育てることはできます。
心と身体のすべてをもって、宇宙 的な心のコントロールにまかせ て、 一つになった心と身体で座れば、 比較的容易にこの正しい理解を得ること ができます。あなたは人生の本当の意味を見出します。」[引用終]
解説
一つの心全体は空性と呼ぶ。これを理解することで、人生の本当の意味を理解できる。座禅を積み重ねることで、このような感覚を育てることができ、一つとなった心と身体で座れば、この正しい理解を得ることができる。
重要ポイント(6)
[引用]「人間性はエゴを持ってはいないのです。 私たちがなんのエゴの考えも持たないとき、 ブッダが人生を見るように見ています。 エゴとは妄想であり、 私たちの仏性を覆い隠してしまいます。
私たちは、 いつもエゴの考えをつくり出しては、 それを追いかけています。 そして、そのプロセスを何度も何度も繰り返すので、 人生がすっかりエゴを中心にした考えで、 占領されてしまうのです。 これを業による人生、あるいは単に業〈 カルマ〉と呼びます。 私たちは一瞬一瞬に最大の努力を払うべきです。」[引用終]
解説
人間が持つ、金銭欲や所有欲や権力欲などは、本来の心の働きとは異なり、その人らしい自然を大切にするなどの人間的やさしさなどを隠してしまいます。座禅を組むことで、そういうエゴの部分を抑えて、本来の人間的な心の働きを取り戻すことができます。
重要ポイント(7)
[引用]「すべては変化するという、 この永遠の真理を受け入れる別の道があると思うとしても、 それは妄想です。それは、この世界での生き方の基本的な教えだからです。
困難さは喜びである、 ということを受け入れるまでに強くなる、 それまで、私たちはこの努力を続けなければなりません。 実際、私たちは十分に自分に正直であれば、 あるいは十分に率直であれば、 この真理を受け入れるのは可能です。」[引用終]
解説
人間の生きる世界では万物はすべて変化するものであり、固定的なものは何一つありません。見た目が変わらないものも、何らかの変化が働いています。
このようなことから、過去のことにしがみついたり、同じ状態を保とうとすることは、あまり意味がないと考えられます。自分たちが見据えるべきものは未来であり、未来を輝かせるには、今の一瞬一瞬を集中して生きる姿勢が必要です。
重要ポイント(8)
[引用]「生命とは存在と非存在の両方を含むと理解します。 鳥は存在していますが、 同時に存在していません。 存在だけにもとづく人生の見方は、 的がはずれているのです。
ものごとをあたかも実質的に、 あるいは永続的に存在するかのように受け取るのは、 仏教から見ると的がはずれた見方なのです。永続的に存在するような確かな道などありません。 誰かによって用意された道はないのです。
一瞬 一瞬、 私たちは自分の道を見つけなければなりません。 完全性という考え、あるいは誰かによって用意された完全な方法などというものは、 私たちにとっては、 真の道ではありません。 私たち一人一人 が、 自分の真の道をつくっていかなければなりませ ん。
そしてそれをするときに、 その道は普遍的な道を表わすのです。 これは謎〈 ミステリー〉です。 一つのことを徹底的に理解する と、 すべてを理解するのです。一番いいのは、 自分を理解することです。 すると、すべてが理解できます。
自分の道をつくろう と 一所懸命 になると、 人を助けることになるのです。 そのとき、あなたは人から助けられるでしょう。」[引用終]
解説
生命は存在しているが、常に変化をし続けているので、そのままの状態で残ることはなく、非存在的であるとも考えられる。永続的に存在する確かな道はなく、自分たちで道を作らなければいけません。
完全性という考えや、誰かによって用意された完全な方法は真の道ではなく、私たち一人一人が、自分の真の道を作らなければいけません。自分を理解することで、世の中のすべてが理解できるようになります。まずは自分の道を作ることに一生懸命になることです。
重要ポイント(9)
[引用]「「 無心」が禅の心です。 それは、すべてを包含しています。 私たちの理解で大事なことは、 流れるよう に、 思考にとらわれることなく、 観察をするということです。私たちの心は、 ものごとをなんの難しさもなく、 ありのままに受け入れなければなりませ ん。
ありのままに理解できるように、 柔らかく開かれていなければならないのです。私たちの思考が柔らかいとき、それを不動の思考と呼びます。考えが一方に偏っていてはいけません。
それには心の全部で、 ものごとをありのまま、 いかなる努力もせずに 見るのです。 ただ見るということ、 そして心の全部で見るということが、 坐禅の修行です。」[引用終]
解説
座禅を積み重ねていくことで私たちの心は物事をありのままに受け入れるようになります、私たちの思考が柔らかいとき、それを不動の思考と呼び、考え方は一方に偏ることはなくなります。
重要ポイント(10)
[引用]「私たちが信頼すべき大いなる心は、 私たちが客観的に経験できるものではありません。 それは、 いつもあなたとともにあり、 あなたの側にあるのです。 目はあなたの側にあるでしょう。
なので、あなたは自分の目を見ることができないし、 目は自分自身を見ることができないのです。 目は外側のもの、 客観的なものしか見えません。 このことを自分にふり返ってみると、 自分とは、 あなたの真の自己ではもはやなくなっていきます。
あなた は、なにか考えられるような対象として、 自分自身を外に投影しているのです。 あなたの側にいつもある心は、単にあなただけの心ではなく、 普遍的な心であり、 いつも同じであり、 他人の心と異なったものではありません。
それが禅心〈 ゼン・マインド〉です。 それは大きな、大きな、大きな心です。あなたが見るものは、 なんであれ、 この心です。」[引用終]
解説
自分の大いなる心は自分自身で確かめることはできません。自分というものは、真の自己と呼べるものではなく、自分自身を外に投影している。あなたの側の心は普遍的な心であり、いつも同じであり、他人の心と異なっているものではない。この心を禅心(ゼン・マインド)と呼ぶ。
まとめ
禅を理解するには、座禅の動作をしっかり身に付けてその通りに毎日継続して行う必要が有ります。禅を身に付けることで、本来の自分の心の動きが鮮明になり、無理のない自然体で行動することができ、生活や人生に安定感が生まれてきます。毎日を目的を持った状態で過ごすことができ、充実した人生を送ることができるようになります。
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