田中幸雄
田中幸雄選手のステータス
生年月日:1967年12月14日 53歳 出生地:宮崎県 都城市 身長:184cm 内、外野手
プロ入り:1985年 日本ハムファイターズ ドラフト3位 2007年 2000本達成 引退
名球会入り twitterアカウント:有 Instagramアカウント: 有
通算成績:出場試合 2238試合 7673打数 2012安打 974 得点 打率 .321
プレースタイル
パワフルな打撃と強肩が持ち味で、NPBを代表する攻撃的な遊撃手といわれた。一方で、打撃が不振だと守備にも悪影響が出やすかったという。
打撃
1988年に大島康徳のフォームを参考に、構えた時の手の位置を後ろにしてバックスイングを小さくし、足を上げてステップを踏みタイミングを取るようになり、打撃が開花した。1995年頃からは左足を小さく引いてタイミングを取る振り子打法を取り入れている。
右ひじ遊離軟骨の痛みに悩まされてからは負担を軽減するために左腕主体のフォームを作り上げたが、腕を伸ばした際に左ヒジが回転するため右腕の腕力でカバーしていたという。内角への球を好んで打ちに行き、落合博満からは「インサイドの球に突っかからなければもっと早く2000本安打を達成できたはず。ただ、そういうこだわりが長い現役生活に繋がったのだろう。」と評されている。
全打順本塁打を記録するなど様々な打順を任されたが、選球眼が良くないことと足の遅さを理由に1番打者だけは苦手だと述べている。なお東京ドームを本拠地にしていた時代は、夏場の長期ロードの頃に下半身に疲労がたまって打撃成績が低下する傾向があり、これを課題としていた。
守備・用具など
三遊間の深い位置でも追いつける守備範囲と、ノーバウンドで一塁に届く送球を身上としていた。遊撃手のレギュラーに定着した頃はリーグ最多の失策数を記録したが、1995年に339守備機会連続無失策のパ・リーグ記録を樹立するなど名手と呼ばれるようになり、5回のゴールデングラブ賞を受賞している。
しかし土に比べて固い人工芝の東京ドームでプレーしていたため体への負担が大きく、30歳を過ぎた頃から自分の送球に衰えを感じるようになったという。1998年頃には左膝およびその靭帯、左足首に故障を抱えるようになっており、翌年には両足を痛めてプレーだけでなく走塁にも支障をきたしている。
バットについてはこだわりが薄く、入団時に二村忠美からもらったバットの形を基本的に継続していた。長さ34インチ(86cm)、重さ920-930グラムで、反発力がある打感を好んでホワイト・アッシュ製のものを使用していた。ただし折れやすいため、練習には同じ形状のアオダモのものを使っていたという。
人物
父と母の身長はそれぞれ156cm、148cmだったが184cmの大柄な体格に育ち、明治生まれで170cmあった祖父に似たのではないかと語っている。生後まもなく亡くなった兄と小学校入学前に亡くなった弟がおり、彼らが力を貸してくれるように感じていたという。
このためもあって、インタビューなどでは「自分は運が良かっただけですよ。」と語ることが多かった。また「人との出会いに支えられた」とも良く語り、取材などに対しては真摯な姿勢で接し、若い時から謙虚な人柄で知られていた。
妻とは武田一浩の紹介で1988年に知り合い、翌年に婚約、1990年に結婚した。同時に妻の双子の姉と結婚した松浦宏明とは義兄弟になり、住居も隣同士だった。実家が養豚業を営んでいた事もあって日本ハムオーナーの大社義規は家族のことも知っており、祖父らを気にかけてくれた事に感謝の旨を述べていた。存命中に優勝できなかった事が心残りだったという。
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