寺原隼人
寺原隼人投手のステータス
生年月日:1983年 10月9日 38歳 出身地: 宮崎県 宮崎市 身長: 179cm, 86kg
配偶者:寺原由記 年棒:8500万円 プロ入り:2001年ドラフト1位 福岡ダイエーホークス 弟:寿隆 Instagramアカウント: 有 twitter アカウント: 有
通算成績: 出場試合 303試合 73勝 81負 23S 防御率: 3.88
- 2001年 日南学園高卒
- 2002年 福岡ソフトバンク・ホークスに入団
- 2006年 横浜ベイスターズに移籍
- 2010年 オリックス・バファローズに移籍
- 2013年 ソフトバンク・ホークスに復帰
- 2018年 東京ヤクルト・スワローズに移籍
- 2019年 引退
プレースタイル
寺原隼人投手
高めのスリークォーターから平均球速146km/h、プロでの最速157km/hのストレートが持ち味である。一方でプロ入り当初は目立った変化球が無く直球に頼った力投型だったが、横浜移籍前年・2006年から制球を重視するようになり、横浜移籍以降からは直球に変化球を織り交ぜて緩急も使ったゴロで打ち取るスタイルへと変わっていった。
球種はプロ1年目の時点でスライダー、高速カーブ(120km/h後半)、チェンジアップがあり、チェンジアップは2001年のワールドカップで藤井秀悟から教わった。2003年からスローカーブ(100km/h台)とカットボール、フォークボールを使用し始めた。2004年は横滑りと大きく曲がる2種類のスライダーを使った。
フォークは高校の練習で試していたが中指が短いという理由で諦めていた。さらに2006年にシュート、2008年オフに特殊な握りの高速フォークを習得した。2011年は140km/h台の高速縦スライダー、2012年秋からツーシームを投げ始めた。2013年秋には加藤伸一コーチからパームボールを習い、それを参考に2014年の2月にはフォークに近いチェンジアップ(中村晃談)も身につけた。
制球は甘く、12年目の2013年7月時点でも高山郁夫コーチからインコースを突く制球力が課題と指摘された。
軟らかいマウンドが好みであり、同僚の大場翔太も寺原が軟らかいマウンドが得意だと述べている。オリックス時代は硬さを調整していた。
投球フォーム
1年目は下半身の筋力不足から肩の開きも早かった。自身のフォームを忘れやすく、2004年1月の和田毅との自主トレでは和田風のフォームへと変更してしまい、春季キャンプで修正する事になった。
同年の秋季キャンプでも肩の開きは改善されず、2005年の春季キャンプで尾花コーチから高校時代のフォームを見せられマンツーマンで修正に取り組み一旦は成果を上げたが、二軍から戻ると重心の高いフォームとなりリリースポイントもバラバラになっていた。2006年はキャッチボールの基本動作から矯正してスムーズな体重移動へと変わり、2007年春はフォームに悩むことがなくなった。
2010年春にさらに安定したフォームを手に入れたが、オープン戦で1試合6盗塁と問題が発覚、4月に左肩が動く癖を修正したが、同月末にも1試合6盗塁を許す。2011年には投球テンポを速める事で安定化を図った。
また同年は投球姿勢に悩んでいたが、2012年からノーワインドアップに一本化する事を決めた。2014年春に左足のインステップ矯正を行った。2013年に膝を痛めて力が入らない事が増え、2014年の膝手術以降、2015年から右膝の負担を減らすために体重を落とし、膝に負担のかからないフォームを模索した。工藤公康監督からは左肩が開くことでシュート回転する癖を矯正する指導を受けた。
フィールディング・守備
クイックモーションでの左足を上げてから本塁までの投球到達時間は2010年時点で1秒14とプロの中では速い。またプロ1年目から牽制、一塁へのベースカバー、バント処理などのフィールディングが課題で、9年目・2010年時点でも改善はされずミスから冷静さを欠き失点していた。
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