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著者 オリベル・ヘルゲル
出版社 岩波書店
お勧めの読者
弓道の修行の精神的な修養に関する知識を身に付けたい人
本書の概要
本書は日本の弓術と西洋の弓術の違いや、日本の弓術の精神性について解説しています。
本書の内容
弓道とはなにか
日本人の考え方によれば、弓を射る術とは、主として肉体的な鍛錬によって誰でも多少は会得することのできるスポーツの能力、すなわち中たり矢が標準と考えられるような能力とは考えられなくて、それとは別の、純粋に精神的な鍛練に起源が求められ、精神的な的中に目的が存ずる能力、したがって射手は実は自分自身を的にし、かつその際おそらく自分自身を射中てるに至るような能力を意味している
禅と弓道の関連性
- 日本の弓術は、日本で禅と呼ばれている思弁的でない仏教と関連が深い。
- 弓と矢をもって、外的に何かをなすわけではなくて、自分自身を相手にして内的に何かを果たそうとしていると考えられる。
- 日本の色々な術、武士の精神的な態度、日本人の生活様式、道徳的・実践的並びに美的方面はおろか、ある程度は知的方面にさえ、日本の生活形態は、その根底をなす禅を無視してしまっては全く理解することが不可能である。
弓を引く姿勢
弓を正しく引くためには。腹壁が程よく張るように、息をゆっくりと圧し下げて、痙攣的に圧迫せずに、息をぴたりと止め、どうしても必要な分だけ呼吸をするようにする。そうすると力の中心が下方へ移されたことになるから、両腕を弛め、力を抜いて、楽々と弓が引かれるようになる。
弓道の極意
- 内発発展の先を越さず、物事をいわばその自然の重力にゆだねる忍耐である。
- 術のない術とは、完全に無我となり、我を没することである。あなたが全く無になるということがひとりでに起これば、その時あなたは正しい射方ができるようになる
- 平静に無念に無我になるのであって、単にそうなったと思いこむのではないということ
- 禅は思弁を決して斥けはしないが、同時に、思弁が場合によっては伴うことのある大きな危険を忘れずにいるという点にほかならない。
- 射手にとっては、無と有とは、内面的にどんなに異なっていても、きわめて緊密に結び付けられるのみならず、両者は互いに頼りあっている。
- 仏教ならびにすべて真の術の錬磨が要求する沈思とは、単純にいうならば、現世および自己から訣別ができ、無に帰し、しかもそのため却って無限に満たされることを意味している。
総括
本書は、日本の弓道の精神性の根幹的な要素である禅のことについて書かれています。禅は日本独自の感覚で西洋人にとって理解しがたく、一緒に付き添って、何度も経験してもらうことで習得できるということが書かれています。
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