著者 藤田一照
出版社 角川文庫
お勧めの読者
坐禅をする目的や、坐禅をしたらどのような感覚になるのかや効果などを知りたい人、坐禅をする方法について知りたい人
本書の概要
本書は、坐禅をする目的や、方法論や実際に体や脳に起こる変化について詳しく解説しています。
本書の内容
坐禅は習禅にあらず
- 部屋の中でじっと安静にしてくつろぐことができる力が最高度に洗練されたやり方で自然に醸成されていく
- 単純に坐禅をしているだけである
- 坐禅は自己の正体である
- 凡夫が物足りないままに物足りている、安心できないままに安心している姿が坐禅
- 全くの初心者として坐禅に新鮮に、初々しく取り組んでいくことが大切
- 坐禅においては善悪の思いが浮かんでくるのは自然現象であり、思いそれ自体は自分の思惑で浮かんできているのではないという事実を意味している。
- なのでわれわれがなすべきことは、そのまま手を付けずに、浮かんでくる思いを追いかけもせずに、また払おうとせずに、自然に起こるままに消えるままにしておくことである。
- 坐禅はある目的を持った、決められた方法を実戦してセルフコントロールを行うことではない。
- 坐禅はエゴのコントロールがすっかり脱落しているものである。
- ありのままでいるその坐の時のありようが自分の正体、実物である。その正体はカチッと固定した置物のようではなく、刻々に変化して流れている。
- 身心一如は、二つのものが密接につながっているということではなく、こころはからだであり、身体は心だというぐらいに1つになっている
正身端坐の坐禅
- 只管打座の坐禅では今言ったような熟練度に応じた階級や段階といった区別をしません
- 坐るというのは、本来足が解放されているものだし、腰やお腹も、骨や筋肉・内臓などに任せて、全く無理なく自然に坐る。
- 股関節を柔らかくする必要がある
- 腰が入った本来の在り方は、胎児のころから完璧に備わっている
- 身心脱落、つまり体も心も捉われを抜けでる、それを時々刻々行じる、それがただ座ることであり、柔軟な心である。
尽一切と通い合っている坐禅
- 生身の体をもってする単純素朴な坐るという行為そのものを深く探求していく身心一如的営みとしての坐禅である。
- 坐禅するとは、居眠りせぬよう、考え事にならぬように、そして生き生きと覚めて骨組みと筋肉で正しい坐相をねらい、その姿勢にすべてを任せきっていくことである。
- 全一的な調身を行うには、体のどこをどう動かせばどこにどのような影響が及ぶか、どの部分とどの部分がどのように連動しているか、といった同時相関・連動の法則や姿勢の急所やツボについての、いわば体の文法というべきものを体得していく努力が必要。
- からだはよくほぐれていないといけない
- 体の自動調整作用で全身の調整を行う
上虚下実の状態
- 下腹部の中心あたり、古来より臍下丹田と呼ばれてきた辺りを中心にある充実感が感じられ、その感じがそこから放射して全身を一つのまとまりとして統一している、
- 上に向かっていくにしたがってその感じはだんだん淡くなっていき、大きな空間が開けているように感じられる。
全体がまとまっている
- 内的感受性によって内観される体の中身の状態が大事
- 調身がそのまま調息であり、調心である必要がある
- 右にも左にも前にも後ろにもどの方向にも偏っていない、傾いていない、中立の姿勢、完璧にニュートラルな姿勢である。
- 調身へのアプローチは自分が調えようとした自らの調身ではなく、自分を超えた所から自発的に出てくる自然な働きに任せる自らの調身です。
- 自律的に内側から生成した姿勢を象りと呼ぶ
正身端坐の姿勢
- 前後左右いずれにも傾かず、からだの中心軸が重力の方向と一致していること
- 側面から見てもまた正面から見ても頭部と胴体とが真っすぐそろった位置にたもたれていること
- 頭ー首ー胴体が正しい関係でつながっているとき頭がバランスよく胴体の上にのっているので首の周りの筋肉は余計な、不必要な緊張から解放される。
- すると体軸が頭と胴体の間で折れ曲がらず坐相全体の中で真っすぐのびのびとした一本のラインにまとまります。
- 腰が締まるとは、坐蒲を坐骨の下に入れるとひとりでに腰に締まりが出てくる状態をさしています。
- 最初は無理やり型にいれているものが、身体の原理というか真理に身体感覚として氣がついていくと、肩ができてくる。
- ピッタリとバランスが取れている状態を無といい、プラスとマイナス、力の入っているのと抜けているのをぴったりバランスして相殺されてゼロになっている状態を坐禅は表している
- 骨盤をしっかり立てる
- 上下がしっかりつながっている状態
- 不安定のなかで安定する一点にいることでどこにでも動けるしなやかさを持った安定が作られる。
坐禅の極意
- 坐禅とは個人の意識の中という、限られた小さな世界であれこれとやりくりしている内向きな自分を外に向かって開き、そんな自分も本当は初めからずっと世界とつながっていたことに目覚めること、気付いていくことです。
- 坐禅は内臓にどのような影響を及ぼしているのか、科学的に明らかにする必要が有ります。
- 呼吸も姿勢を支えている
- 息が体の中に入ってくると内圧が上がってからだ全体が、一個の風船のように膨らんでいきます。息が出ていくときは体全体の弾力によって元の形に戻っていきます。
- この呼吸による膨張ー収縮運動も姿勢を維持する大きな助けになっています。
- 姿勢を支え調えてくれるように働く眼の使い方耳の使い方があります。もっと見よう、もっと聞こうと欲張らないで、余計な努力をする以前にもうすでに見えていること、聞こえていることに落ち着き、視野や調やの中のどれか特定のものに濃厚な関心を集中しないで、視野・聴野の中にあるすべてのものを均等に柔らかく受け取るようにする。
- 情報を受け取る場所は、視覚の場合は後頭部情報にある脳の視覚野、聴覚の場合は両耳の少し上あたりにある脳の聴覚野あたりで情報を受け取るような感じでいるようにする。
- 私たちの経験は六根・六境・六識の組み合わせから成り立ち、意は思いとイメージを表している。
- 意野に登場してくるものをみんな均等に受動的に柔らかく受け取っている。
- 坐禅の集中は、すべてに集中するオープンな集中、焦点を持たない集中でないといけない。
- 坐禅をしていると、敵が無くなっていく感覚になっていきます。
- 呼吸は周囲の空気とどのように親密に交流していくかを問題としてとらえられる
- 坐禅の姿勢は重力との間によそよそしい関係、敵対した関係ではなく、坐相をまとめ、支え身心をいやしてくれるような親しい関係を学んでいきます。
- 感受性を洗練させる必要がある。
- 動の極みが静である
- 立禅を行うと、垂直の軸が立ちやすいので、立禅で感覚を身に付けた後で坐禅をすると、姿勢の精度が高くなる。
- 坐禅は、根がしっかりと大地の中に張ってそこから滋養分がサーっと入ってきているということである。
- 坐禅は何も隠さずに堂々と透明に座る。
活撥撥地の坐禅
- 坐禅は不動の態度を意識的に貫く
- 例えていうなら、燃え上がろうとする火を内に収め上手に制御しているかまどである
- 坐禅の不動性は内に動を蔵している
- 正身端坐の工夫を通して、身心が調和し、筋肉の余計な緊張がほぐれて深い所からのリラックス状態が実現すると、後は身体自身の自己調整作用によって、呼吸の時の胸郭の動きや横隔膜の動きがスムーズになり、身体が勝手に、自然に呼吸するようになる。
- 脈動を内に豊かに含み、そのことで生き生きと息継ぎしながら成立しているような、柔軟で弾力性に富んだおおらかな不動こそが坐禅の不動性である
- 坐禅の安定性は動的でダイナミックなものである
- 体軸の揺らぎは回っているコマが示す首振り運動のように、微小な揺らぎ運動を続けているが、、これは重力との適切でバランスの取れた関係を維持し洗練していくために自然に起きている動きです。
- 坐禅中は調身ー調息のおかげで感受性が自然に研ぎ澄まされるので、普段の散乱した粗雑な身心の状態では気付けないものの常に存在しているこうした微細な自発的運動にふと気付く確率、機縁が大幅に増えます。
- 坐禅をすると、怒っているときに重心が自然に下腹のほうに下がるので、怒りはそれほどにもないというゆとりが生まれてきます。
- やってくる小鳥たちを喜んで受け入れ静かに堂々と立っている大木、それが大乗の座禅の在り方です。
- 坐禅においては、プロセスと結果、修行と証果は同じものである
- 身心一如で正身端坐するということは、意識がからだと心を操ろうとして喧嘩しているような状態を超えて、体と心が調和し本来の一如性を取り戻し、身心丸ごとを挙げて本分に安住することである。
- 坐位においてはこの坐骨の上にどのように体重が落ちているかが最も重要なポイントになります。それが骨盤全体の傾き具合を決め、その上に乗っかかっている上体の形状や体全体のバランスに大きな影響を及ぼします。
総括
本書は坐禅の本質について詳しく解説されています。坐禅を普段行う目的と、慣行の坐禅との違いについて書かれています。
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