著者 宮本武蔵
お勧めの読者
剣道の技量を高めたい人、勝負強い人になりたい人、たくましさを身に付けたい人
本書の概要
本書は、「地、水、火、風、空」の五巻から構成されていて、本論は「地」「水」「火」の巻にまとめられています。地の巻では、二天一流を、水の巻では敵に勝つための自己鍛錬、火の巻では、勝負の種々様々な駆け引きを解説しています。風の巻では、他流の批判、空の巻では、体裁上の結語をくっつけただけである。
五輪の書 風の巻
- 私は若いころから今まで兵法の道に心をかけて剣術の一通りの事は鍛錬し、色々な心になった。
- 他の流派を尋ねてみると、口先ばかり格好を付けたり、小手先ばかりの技を人に良いように見せている。一つも実の心がない。
- いくら自分が身を鍛え、心を練っても、このような流派の存在は剣術の病の原因となり後世まで消えにくい。
- 兵法の正しい道が世にでずに、廃る元凶である。剣術の実の道は敵と戦って勝つことである。
- これは全く変わらない。私の兵法の知力を得て、正しいことを行えば勝利することは疑いもないものでもある。
- 兵法では他流の道を知る事が大切である。他の兵法の流派を風の巻としてこの巻に書き表す。
他流に、大きなる太刀を持つ事
- 他流に大きな太刀を好む人がいる
- しかしこれは弱者の兵法である。
- なぜなら、その兵法は「どのような場合でも勝利する」という理を知らず、
太刀の長さだけを長所として敵を遠い所から切ろうとするからである。 - この思いがあって太刀を好むのである。
- もし、敵が至近距離にいて組み合うならば、太刀が長いほど打ちがたく、自由に振り回せず却って邪魔になる。
- 昔から大は小を兼ねるといい、むやみに長い太刀を嫌うわけではない。だが、長さだけに偏る心は嫌うべきである。
- 私の流派は狭い心を嫌うのである。
他流において、つよみの太刀ということ
- 太刀に強い太刀弱い太刀などはない。強い心で振る太刀は粗いものである。粗いだけでは勝つことはできない。
- また強い太刀といって人を斬る際、無理に強く斬ろうとするとうまく切れない。
- 試しきりなども強く斬ろうなどと思ってはいけない。
- だから強く振るう太刀などは良いものではない。
- 物事に勝つということは道理が無いとできないのである。
- 私の兵法では少しも無理なことをせずに兵法の知力をもってどのようにも勝つ心を得るものである
他流に、短き太刀を用いる事
- 短い太刀だけで勝とうと思うのは実の道ではない。
- 世の中には力が強いものがいて、大きな太刀を軽々と振って短い太刀を好まない場合があります。、
- なぜなら、長さの利を用いて槍や長太刀を持つからである。
- 短い太刀をもって、人の振る太刀の隙間を縫って、跳び入ったり掴もうと思う心は偏っていて悪い。
- 隙間を狙うことは、全て後手に回り、もつれてよくない。
- 短い太刀では、大勢の敵を斬りはらい、自由に跳び、廻ろうと思っても、全て受けの太刀ということになります。中に紛れてしまい、確かな道ではない。
- 同じことなら、我が身は強く真っすぐにして人を追い回し、人を問い跳ねさせて、人が狼狽えるように仕向けて確実に勝利することに専念するべきである。
- 世の中で人が兵法を習う際、「平常」「受ける」「交わす」「抜ける」「潜る」事に執着すると小手先の技だけに終わり敵に追い回されてしまう。
- 兵法の道をまっすぐに正しく会得すれば、正しい理をもって敵を追い回し、人を従えることができます。
他流に、太刀かず多き事
- 他流では多くの太刀の扱い方を伝える事を売り物にして、それを初心者に感心させることがあります。兵法においては忌み嫌うべきものである。
- 何故なら、人を斬ることに種類が多いと色々迷うからである。
- 我が兵法では身なりも心も真っすぐにして、敵をひずめて、ゆがませて、敵の心がねじりひねる所に乗じて勝つことが肝心である。
他流に太刀の構えを用いる事
- 太刀を構える事に専念するのは間違っています。
- 世の中で構えの無い時は敵のいないときである。
- なぜなら、昔から今まで、例や法などで決まりきった勝負の道など存在しないからである。
- 相手の弱点を狙うのが良い。
- 物事の構えということはゆるぎない心を持つことである。
- 兵法の勝負の道においては何事も先手を心がけるべきである。
- 兵法の勝負の道は敵の構えを動かし、敵の心を動揺させ、あるいは敵を狼狽させ、怒らせ、脅かせ、敵が混乱したところの拍子に乗じて勝つのが構えである。
- 大勢で戦う兵法で、敵の人数の多少を知り、その戦場の状況を見極め、自分達の人数を知り、その長所を知り、人数を決定してから戦いを始める事が合戦で大切なことである。
他流に目付ということ
- 「目付け」といって各流派において、敵の太刀に目を付けたり、手に目を付けることがある。
- 敵に目を付けたり足に目を付けることも有ります。
- このように一か所に限って目を付ける事は紛れる心となり、兵法の病の原因となる。
- 兵法の道も、その敵との闘いに慣れ、人の心の軽重を覚え、道を行い得れば、太刀の遠近・遅速までも全て見ることができます。
- 兵法の目付けは大抵、人の心に付く眼である。大勢で戦う兵法では、その敵の人数に対する心に眼が付く。
- 「観る」と「見る」の二つの見方があります。
- 「観る」の目を強くして敵の心を見て、その場の情勢を見て大局的な戦いの判断をする。
- そして敵の強弱を見て、まさしく勝利することが大切です。
他流に、足つかいあること
- 足の踏み方に「浮足」「飛び足」「跳ね足」「踏みつける足」「からす足」などがあり、色々、足を早く踏む事があります。
- これらは我が兵法からすると駄目である。
- 浮足を嫌う理由は、戦いでは必ず足をしっかりと確かに踏まないといけないからです、
- 飛び足を好まない理由は、飛び足は飛んだ瞬間から次の動作が固定されてしまうからである。
- 跳ね足は跳ねるという心があると、どうにもいかなくなります。
- 我が兵法において、足は変わるものではありません。
- 常に同じ道を歩むようなものである。
- 敵の拍子に従って急ぐ時、静かな時の身の持ちようを得て、足らず、余らず、足の平常を保つべきである。
- 大勢で戦う兵法も足を運ぶことは肝要である。
- なぜなら、敵の心を知らず無闇に早く掛かると拍子を間違え、勝ち難くなってしまうからである。
- また、出足が遅れると敵が狼狽えるのを見逃してしまい勝つことができず、早く勝負を付けることができなくなってしまいます。
他流の兵法に、はやきを用いること
- 兵法において太刀さばきが早いということは実の道ではない。
- 早いという事は物事の拍子の間に合わず、早すぎたり遅すぎたりするのである。
- この道を上達すると「早い」とは思われなくなります。
- 上手な人がすることはゆっくりに見えて、拍子が崩れていません。
- 特に兵法の道においては速いというのは良くありません。
- 場所によっては沼、湿地等で足下が覚束ず、早く行くことができない。
- 太刀は尚更早く斬ることができない。
- 早く斬ろうとすれば、扇や小刀のようにはできず、小手先だけで斬っても少しも斬れない。
- 枕を押さえるという心を持つくらいが丁度良い。
他流に、奥表ということ
- 我が兵法の教え方は、初めて道を学ぶ人には分かりやすい技から習わせて理解が進むようにする。
- 心の及びにくい所は、その人の心の理解力が進んだ時に、順次、深い所を教えます。
- しかし、大抵はこのような事を覚えても敵と打ちあうことが無いと奥口には到達できません、
- 何事の道も奥が役に立つ場合があり、表も役に立つ場合があります。
- この戦いの理において、何かを隠し、何かを顕す意味はあるであろうか。
- 我が兵法の道を伝えるにも、誓紙や罰文などは好まない。
- この道を学ぶ人の知力をうかがい、真っすぐな道を教えて兵法の五道六道の悪い所を捨てさせ、自ら武士の法の実の道に入り、疑う心を無くすことが我が兵法の教えの道である。
総括
風の巻は、他流のどこが問題点なのかを具体的に説明して、何故二天一流が優れているのかを解説しています。
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