太気拳の由来
中国発祥の拳法で、内家拳に属し、形意拳の流れをくむ拳法である太成拳を日本人の澤井健一氏が恩師の王氏から受け継いだ後太気拳と命名した。
太気拳が生まれるまでの流れ
澤井健一氏は第二次世界大戦前に中国に住んでいた時に王宇僧先生と出会った。王宇僧氏のもとに入門するのは難しく、王氏の動きを真似することが許されただけであった。剣道など武道に造詣が深い澤井氏は、王氏に実力を認めてもらうために直接立ち向かったが、まるで歯が立たなかった。
その後、澤井氏は自信を失い、王氏がとても重要視している立禅を毎日こなしていくことを心に決めて、毎日続けていくうえで、中国拳法というものが身に染みて理解できるようになった。その後澤井氏は太成拳を会得して、自ら太気拳を創始した。
内家拳とは
内的気功を重視する方法で、禅による精神鍛錬から動へと鍛錬する。外家拳の剛に対して内家拳は柔であり内家拳の精神修練には時間要する。それゆえに修得するのは、非常に困難。
太気拳の特徴
1.相手の攻撃に対して、退かないということである。太気拳には、遠間から仕掛けていく技は無く、相手の攻撃と同時に自分は相手の中に入っていくのである。
2.必ず一方の手は、防御になっていることである。その防御は完璧でなくてはならない。
3.太気拳は相手を牽制するような動きはしないことである。相手の動きによって自分の体は自然に無理なく、しかも瞬間的に動くのが、太気拳の極意であり、頭で考えてするものではない。相手の動きに対して、頭で考えるのではなく、いかなる相手の動きに対して無意識といえるほど瞬間的に、無駄がなく、かつ的確な体の運用で防御と攻撃を行う。
4. 気の養成
「気」は人間であれば誰にでも備わっているものであり、武術を志す人は必ず気を鍛えなければいけない。相手と立ち向かったときに気が外に向かっていかないといけない。相手と向かい合ったときに気が外へ出るようにするためには、立禅と呼ばれる、太気拳の修行法が一番効果がある。
立禅は立ったまま行う禅のことであり、この禅を組めば、神経は静まり、研ぎ澄まされ呼吸の鍛錬にもなる。禅を組んでいると、雑念が湧いたり、手や腰が痛くなり、痛みに気を取られることになるが、長年続けていくとすっきりした立禅が組めるようになる。すると自然に気が養成されている。気を発揮できる武道家は相手と立ち会う時、一見静かに立っているようにみえるが、相手が攻撃し前に出て相手と接触する瞬間「気」の力が発揮される。
5. 形あって形無し
太気拳には定まった形というものはない。普段から立禅と這をこなし、相手の攻撃に対し、自然な形で手や体がそれに対応すれば良い。無理に形を決めるのではなく、自分の体に合った自分の動きを自分で習得するのである。これができるようになって初めて、内家拳の拳法家として芽生えたことになり、有形無形の拳法といわれる由縁はここにある。
6.天・地・人と体の動き
太気拳では体はすべて分離していなければいけない。手は手、足は足で各々の働きをするように稽古をすることが大切である。太気拳に形はないといわれるように、右構えや左構えといったものはない。手は触覚のような働きをし、腰は体を安定させる「地」の役割を持っている。
太気拳では腰を落とすが、十分に練られた柔らかい腰であるので問題はない。足は歩幅を広く取らない。太気拳では手のすべての動きが防御と攻撃を含んでいる。時には手は太刀の働きをし、手の動きには、迎手と払手の技がある。
迎手は腕の内側で相手の拳を受け、払手は腕の外側で相手の攻撃を払う方法である。触覚である手が、相手が攻撃してきた時、手の内側で受けるか、外側で払いのけるかを自然に決める。
それは頭で判断するのではなく、触覚の働きにより、素早く相手の攻撃に対し反応するのである。また右手が上がったり下がったりしているとき、左手も添手になっている必要がある。添手とは、相手が打ってきた拳を受けに行った手が受け損なった場合、もう一方の手で受けられるよう添えられた手を言う。
手という触覚により、体全体が反応する必要がある。手が下がれば、腰も下がらなければならず、手が進めば腰もそれにつれて進まなければならない。こうして手の動きに体の動きがついていくことにより、手の動きは倍加する。太気拳を習得する場合、この太気拳の独特の手を念頭に入れて稽古をする必要がある。
7.自然の中での稽古
太気拳の稽古は外で行うのが良い。特に木立のある場所で早朝、稽古をするのが良い。自然に囲まれた中で稽古を積めば、自然の中から多くのものが得られる。
太気拳の稽古法
立禅
日本で一般的に行われている禅は座って行う座禅であるが、中国の武術には立って禅を組む、立禅というものがある。立禅を組むことにより人は自分の持っている内的な力をより強力にすることがで、瞬間的な爆発力を養成できる。
この内部から発する瞬間的な爆発力は、一般に「気」と呼ばれている。立禅は気攻法としてこの気を養うために行われている。気は結局、厳しい稽古や実践の中で相手と対峙したとき会得するより方法はない。形意拳、太成拳、太気拳の名人は皆、禅の稽古で、気を会得している。
気が会得でき、相手との立ち合いにおいて気が発揮できれば、相手が攻撃してきた時、自然な自分の体の動きに自分自身を任せることができる。筋肉をいくら鍛えても、瞬間的なスピードには限界があるが、気を身に付ければ、効果的な速い動きができるようになる。
相手が攻撃してくるときに、無理なく無意識に相手の中に入り、相手と交差するとき、自分の体が防御されているというのは、気を会得した由縁である。太気拳で行う立禅の姿勢は、単なる「立った姿勢」ではなくその立ち方そのものが内臓諸器官や足・腰を鍛錬する具体的な方法である。要するに、立禅を長時間することで、足や腰を強靭にすることができる。立禅は早朝に、野外で行うのが良い。気は自然のなかで禅を組むことで生まれる。
揺
立禅を長時間行った後に、ゆっくりと両手を下げると同時に膝を伸ばし、さらにゆっくりと気分を調える動作を言う。禅を組めば自然と身も心も静に戻る。この後その気分を大切にしながら静から動へと切り替えていかないといけない。揺はこの動へ切り替えるときの最初の動きになる。太気拳の稽古は常に静から動へ移るものであり、このときに一貫して武の気分が流れていないといけない。揺の気分は、大きな木を自分のほうにゆっくりひきつけるような、そして押し返すような感じである。
這
這は自分の体を防御と攻撃の両面で安定させるための訓練である。「天・地・人」の思想があり、人間の体は上から「天・地・人」に分けられる。最も大切なのは真ん中の部分である「人」である。相手が攻撃してきた時に「人」の部分が、守られていればよい。「人」を守るためには「地」である足腰を十分鍛錬しておく必要がある。武術では、「人」に入ってくる相手の攻撃だけを防御すればよい。そのためには、自分がしっかり守るべき「人」の領域を知っておくことが大切である。
それは頭で考えるのではなく、体や手が無意識のうちに「人」をわかっていなければいけない。這の稽古は「地と人」を鍛錬するものであり「地」は足・腰の力の鍛錬「人」は手・触覚の鍛錬である。この鍛錬がなされずバランスがとれないと、必ずどこかに弱点がでてくる。例えば、顔面を攻められると、腰が伸び切り、逃げるのに精いっぱいになる。
また、腰が落ちずに柔らかさのない「地」であると動きが鈍くなり、相手の攻撃に応じきれなくなる。這は腰をいつも定位置に保ち、見ている人が分からないほどゆっくり進むことが肝心である。最初5メートル位前進し、つぎに同じ歩幅で後退する。目は凝視せず、相手の全体の動きがわかるように、ぼんやりとみる。
特に足の運び方は注意を要する。腰を安定させるために歩幅を広くとったり、重心を後ろにとっては意味がない。腰は低く、そして速く、左右、前後に動けるものでないといけない。粘り腰で、方向自在な足が必要である。ゆっくり地面を這うように、できるだけゆっくり、蛇行しながら這うように稽古をする。
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