バガボンド 2

剣道漫画

原作: 吉川英治

作画: 井上雄彦

出版社: 講談社

掲載誌: 週刊モーニング

掲載期間: 1998年 – 2015年

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主要登場人物 続き

新陰流

上泉伊勢守秀綱が創始者となる流派です。将軍家の兵法指南役にもなっています。

上泉伊勢守秀綱

上泉伊勢守秀綱

新陰流の創設者です。誰もが認める当代随一の剣豪です。天下無双と言われます。武田信玄から大名の誘いがあるも断り、ひたすら剣の道を追求します。宝蔵院にて手合わせを願った若き日の石舟斎、胤栄を圧倒的な器の大きさでいとも簡単に下し、その後は二人の師となります。現在は他界しています。「道を極めたなら、刀は抜くまでもないもの」という「無刀」の思想を持っています。

柳生新陰流

柳生石舟斎

柳生石舟斎

本名は柳生 但馬守 宗厳(やぎゅう たじまのかみ むねよし)。通称「剣聖」。天下無双とも称えられる今も技の探求を続けている。病気がちな自身の余命を考え、その技を兵庫助に残すことに尽くしている。

厳格な人物だが、無邪気な部分や茶目っ気があり、孫にはつい甘い顔を見せる。村を出奔したおつうを喜んで迎え入れました。負けず嫌いな性格です。若いころ伊勢守やその甥の疋田豊五郎と立ち会い完敗します。伊勢守に弟子入りし、「無刀」の業を引き継ぎます。武蔵の心の師匠の一人です。

柳生兵庫助

柳生兵庫助

新陰流の後継者です。石舟斎に特に溺愛されている孫です。剣のさばきかたが石舟斎によく似ています。
諸大名から仕官に誘われるも断り、武者修行の旅を続けます。武蔵のことを自分に似ていると感じています。石舟斎も2人を間違えたことが有ります。武蔵と2回目に合ったときに、武蔵の強さを認めています。

鐘巻流

鐘巻自斎

鐘巻自斎

鐘巻流の開祖。小次郎の育て親。中条流師範として道場を開き、全盛期は天下無双とも言われています。しかしひたすら自らの剣を極めることのみに打ち込み、自分以外の人間に無関心でした。弟子の伊藤弥五郎に敗北して自信や闘争心を失い、剣の道から退きます。

周囲の人から変わり者に思われて孤独な毎日を送っていました。かつての弟子・佐々木佐康から息子の小次郎を頼むという手紙をもらうが、自殺を試みようとして何日も海辺に座り込んでいたところに、小舟に乗った赤ん坊の小次郎が現れ、荒波の中を死にものぐるいで助け、

以来、たびたび育児を放棄しながらも小次郎を育て上げ、それが唯一の生き甲斐となっています。剣の腕は長らくくすぶり続けましたが、不動幽月斎との死闘の際、小次郎を助ける一心で闘争心を取り戻し、討ち果たしました。

その際に右腕を負傷して使えなくなりました。その後は剣の腕もある程度回復したようで、少年時代の小次郎に毎日稽古をつけて、圧倒し続けていました。

しかし老いてしまった自分に小次郎を十分鍛え上げることは困難だと思い、ついに小次郎に剣の道を歩ませる決心をしました。自分を表現するのが苦手で、小次郎を独占したいという気持ちが前面にでます。

最初は、剣で挫折した自分みたいに小次郎がなってほしくないと思い、剣に関わらせないようにしていましたが、段々小次郎を一人前に育てる事が自分に託されていることだと思い、小次郎が望む剣の道を歩ませることになります。

一刀流

伊藤一刀斎

伊藤一刀斎

一刀流の開祖。初名は伊藤 弥五郎(いとう やごろう)。通称「剣の神様」。最強最速の剣の持ち主であり鐘巻自斎の弟子です。5年間自斎のもとで剣を学んで師匠を倒しています。

小次郎を剣の道に導いた張本人で、弟弟子である小次郎の師を果たします。面識はありませんでしたが少年武蔵の憧れの存在でもあります。性格は剛胆無比であり、自分の実力に絶対の自信を持っています。剣を楽しむことをとても大切にしています。そのためか、現在の鉄砲の戦には興味を持てなくて、士官・出世にもあまり欲がありません。

自分が強すぎるため、対戦相手に物足りなさを感じています。自分よりも強い相手を望んでいます。実力は鋼鉄の鉄砲を一振りで寸断することができ、騎馬兵も圧倒することができます。対戦相手は容易に近づけないところが有ります。柳生石舟斎にも実力を認められています。

小次郎を自斎から預かると関ヶ原に放置し、生き残った小次郎と立ち会い右手の半分を失いました。柳生の里近くの茶屋にて武蔵と立ち会い、最初に打たれますが反撃して倒します。

無想権乃助

無想権乃助

「兵法天下一」を名乗る、自分の流派を立てることが夢の若者です。傾奇者の格好をしています。元は百姓の子で子供のころは大きな体で働かずに悪事を働いたりしていたので、怖がられ疎まれています。普段は孤独であり、小次郎が初めての友達となります。

旅をする最中に一刀斎、小次郎らにからかわれ、その際彼らと立ち合うも敗北します。一刀斎に戦う姿勢の未熟さを指摘されます。それ以後、一刀斎を師と仰ぎ旅を共にします。関ヶ原では殺されかかるが武蔵に助けられ、彼らの戦い方を学びます。年齢は関ヶ原の戦時15歳。

宝蔵院流槍術

槍の達人、宝蔵院胤栄が創始者となる流派です。槍の聖地と言われる奈良の興福寺子院の宝蔵院に、大勢の修行僧が集まっています。現在は胤栄は既に引退し、胤舜が宝蔵院・二代目を襲名したが、胤舜に反感を持つものも少なくありません。

宝蔵院胤栄

宝蔵院胤栄

宝蔵院流槍術の創始者です。法号「覚禅房胤栄」。通称「大胤栄」。豪放磊落な性格で、門弟から尊敬されて止みません。武蔵の心の師の一人。

胤舜に宝蔵院の座を譲った後も槍術の腕に衰えはなく、武蔵を圧倒しました。自身が作る「宝蔵院漬」は好評で、日中畑仕事に精を出しています。柳生石舟斎と共に、上泉伊勢守秀綱に弟子入りした過去もあります。坊主で老体だが酒を好みます。盟友である石舟斎の死後、後を追うようにその生涯を閉じました。

宝蔵院胤舜

宝蔵院胤舜

宝蔵院流槍術二代目です。本名満田 慎之介(みつだ しんのすけ)。胤栄の元で槍術を学ぶため寺に来た武士の息子であったが、両親は浪人に目の前で惨殺され、そのまま胤栄に引き取られます。その時点で残酷な記憶は封じられ、槍術に没頭していました。すばらしい槍の天分にも恵まれています。

15の時にはすでに院内に敵は無く宝蔵院の二代目まで上り詰ました。しかし天才故に周りに相応の敵がおらず、戦いに対する姿勢はどこか慢心的であり精神的な未熟さが残ります。自身もその欠点に気づき命のやり取りを渇望するが、相手の命のやり取りにしかなりません。そのため、周りからは怖がられて孤立していきます。

胤舜は心が磨かれていないので、胤栄は宝蔵院に挑戦してきた武蔵を鍛えて、胤舜と対戦させようとします。対戦では一度は圧倒的な強さで勝利するも、再戦では胤栄に鍛えられ一回り成長した武蔵に圧倒され、一瞬の隙を見て突きを繰り出すが、紙一重でかわされます。同時に、過去の記憶がよみがえって隙ができている間に、頭に強烈な一撃を浴びて昏倒します。

武蔵も出血のために戦い続けることが出来なくなり、立会人であった胤栄により、都合2回の対戦内容から引き分けとなります。決闘後、奇跡的に生還します。武蔵とは和解し、後で再会することを約束します。その後、宝蔵院二代目を正式に襲名します。

本阿弥家

代々、刀研ぎを生業としている名門の家柄です。現在光悦は引退し、光室が十代目の惣領として働いています。

本阿弥光悦

本阿弥光悦

本阿弥本家九代目惣領。京の屋敷に母・妙秀とともに住まう芸術家です。迎え入れた牢人者達と共に暮らしています。芸術家としての技は、天下人徳川家康に指名で刀の研ぎを依頼されるほどです。

生まれたころから刀に囲まれて育ち、刀を天地と見立て、その業を長い年月向上させています。武蔵や小次郎たちとは違った意味で剣に生きる人です。刀の美しさに魅入られて、自分が作りたい人の刀を選んで作っています。その後、光悦が研いだのは武蔵と小次郎の刀のみである。

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