経営母体
東京ヤクルトスワローズ(とうきょうヤクルトスワローズ、英語: Tokyo Yakult Swallows)は、日本のプロ野球球団。セントラル・リーグに所属する。
東京都を保護地域とし、都内新宿区にある明治神宮野球場を専用球場(本拠地)としている。また、二軍(イースタン・リーグ所属)の本拠地は埼玉県戸田市にあるヤクルト戸田球場である。
宮崎ゆかりの選手
奥川恭伸 星稜高校卒
2018年春のセンバツ 1回戦 星稜×富島 11-2
- 奥川投手は3回途中からマウンドに立ち、6回2/3を投げて被安打5無失点の好投をして勝利に貢献。
2018年度MRT招待高校野球大会 延岡学園×星稜 3-2
- 奥川投手は序盤に1~2イニング投げてリリーフに交代した。
青木宣親 日向高校卒業
監督
高津臣吾
高津 臣吾(たかつ しんご、1968年11月25日 – )は、広島県広島市南区段原中町出身の元プロ野球選手(投手)・監督・野球解説者・評論家。現東京ヤクルトスワローズ第22代監督。
主に抑え投手として、日本プロ野球(以下:NPB)・メジャーリーグベースボール(以下:MLB)・韓国プロ野球(以下:KBO)・台湾プロ野球(以下:CPBL)の4つの野球リーグを経験した初の日本人選手。NPB歴代2位の通算286セーブ、史上2人目となるNPB/MLB通算300セーブを記録している2005年のシカゴ・ホワイトソックス時代にはMLBチャンピオンリングを獲得している。
プロ入り前
小学校3年の時に軟式野球チームで野球を始める。中学校を経過して、広島工業高校に進学する。
プロ入り後
プロに入団してからは、変化球を使い分ける投手として活躍する。特に遅いシンカーを修得してから頭角を現す。1999年から抑え投手として抜擢されて活躍する。
2013年より、フジテレビ『すぽると!』に加え、ニッポン放送『ショウアップナイター』野球解説者も務めることとなった。J SPORTSの野球解説者、スポーツニッポンの野球評論家も務める。
同年10月23日、2014年シーズンより一軍投手コーチとして東京ヤクルトスワローズに復帰することが発表された。2015年は投手陣が安定し、救援防御率リーグ1位を記録、リーグ優勝に貢献した。2017年からは二軍監督に就任し、2020年から同チームの一軍監督を務めることが発表された。
大リーグ経験のある日本人選手の一軍監督就任は井口資仁以来2人目、日本の独立リーグの監督経験者がNPB監督に就任するのは史上初である。就任1年目は投打ともに振るわず最下位に終わるも、先発ローテーションの間隔を大きく開けるなど新しい試みを行った2021年は、6年ぶりの優勝を成し遂げ投手出身監督としては球団史上初の優勝監督となった。
CSファイナルステージも3位巨人相手に2試合連続完封勝利、3戦目も同点に追いつかれるも逆転は許さず、規定により6年振りの日本シリーズ進出を決めた。
人物
非常に明るいキャラクターの持ち主でである。
注目の選手
奥川恭伸
プロ入り前
かほく市立宇ノ気小学校2年生の時に、宇ノ気ブルーサンダーで野球を始めた。チームメイトの山瀬慎之助と高校までバッテリーを組む。宇ノ気中学校では中学の軟式野球部に所属し、中3夏(2016年)の全国中学校野球体育大会では投手として全国制覇に貢献した。
その後星稜高等学校に進み、1年の春からベンチ入りを果たす。その後、2年春の選抜から4期連続で甲子園の出場を果たした。特に3年の夏の甲子園では準優勝投手となった。同学年に山瀬慎之助、1学年下に内山壮真がいる。
2019年9月5日に行われた18歳以下の野球ワールドカップに出場する。1試合に登板する。
2019年10月17日に開催されたドラフト会議において、読売ジャイアンツ、阪神タイガース、東京ヤクルトスワローズの3球団から1位指名を受け、抽選の結果ヤクルトが交渉権を獲得した。契約金1億円+出来高払い5000万円、年俸1600万円で入団に合意する。背番号は11。
ヤクルト時代
2020年のシーズン終盤の11月7日に一軍登録された。ヤクルトの2020年最終戦となる11月10日の広島戦でプロ初登板初先発を果たすが、2回0/3を投げて被安打9、2奪三振、5失点でプロ初黒星を喫した。
2021年は前半戦は10日以上の間隔を開ける形で先発ローテに抜擢された。3・4月は初勝利の試合含めて15イニングで被安打25を打たれ、防御率も7.20と投球内容は振るわなかった。
しかし、5月頃からストレートの球威も増していき多彩な変化球の制球も良化し被打率が低下していくと、変則ローテーションながら先発の軸として活躍。交流戦以降は7試合連続無四球(与死球1)と抜群の制球を披露し、投球もより安定感を見せた。
最終的に18先発で12QS(5HQS)と先発陣の中で屈指の安定感を発揮し、チームトップタイ、リーグ8位タイの9勝を記録して優勝に大きく貢献した。四球数は105イニングでわずか10個、奪三振率は7.80とコンスタントに三振を奪う投球を見せ、K/BBは9.10と非常に高い数字を記録した巨人とのクライマックスシリーズファイナルステージでは初戦の先発を任され、98球でプロ初完投初完封する。
選手としての特徴
スリークォーターからストレートと、スライダー・フォークを投げる。キレのあるスライダーにも定評がある。
高校時代の2019年7月21日には最速158km/hを計測されたことがあるが、158km/hを計測した石川県立野球場のスピードガンの精度に信頼性がないとされ(当日の球速表示は他の投手も普段より5km/hほど速かった)、本人も最速とは考えていない。プロ入り後の最速は155km/h。
高橋奎二
プロ入り前
小学校から軟式野球を始める。
龍谷大学付属平安高等学校では1年秋からベンチ入り。甲子園出場経験は3度。2015年10月22日に行われた2015年ドラフト会議で、東京ヤクルトスワローズから3位指名を受け、11月27日に契約金5000万円、年俸600万円で合意した。
ヤクルト時代
2018年、10月2日の対横浜DeNAベイスターズ戦では5回1失点8奪三振の好投でプロ初勝利を挙げた。
2019年、先発ローテーション入りし4月3日の対横浜戦でシーズン初先発。6月23日の対千葉ロッテマリーンズ戦では6回2失点でシーズン初勝利を挙げた。最終的に防御率5.76ながら19試合に先発し4勝を挙げた。
2020年、7月30日の対阪神タイガース戦でシーズン初勝利を挙げる。コンディション不良もあり、10試合の登板に終わった。
2021年、春季キャンプでカットボールの習得を目指した。キャンプから結果が出ず二軍スタートになり、交流戦まではセットポジションから投球する新フォームで登板を重ね、安定感を見せるようになると一軍に合流した。6月13日の対福岡ソフトバンクホークス戦でシーズン初勝利を挙げた。その後は先発ローテーションに定着。
打線の援護に見放され勝敗は4勝1敗に留まったが、防御率2.87、WHIP1.07と安定した投球を披露し、後半戦からは奥川恭伸と先発陣を引っ張り優勝に貢献した。シーズン終盤は首位を争った阪神タイガースへの登板に合わせて奥川と共に登板間隔を開けて調整し、10月9日は5回1失点と試合を作り、10月20日は7回無失点の好投で引き分けに持ち込みマジックを減らす立役者になる。
優勝が懸かった10月26日の横浜DeNAベイスターズ戦ではリリーフ待機して5回からの2イニングを無失点に抑えて優勝決定試合の勝利投手となった。
選手としての特徴
高校時代は古都のライアンと呼ばれていたように右足を大きく上げるダイナミックなフォーム。直球の最速は155km/h。変化球はキレのあるスライダーが武器。
人物
顔立ちが俳優の竹野内豊似とされている。高校時代は監督の原田英彦から精神的な未熟さと整ったかわいらしいルックスから「赤ちゃん」と呼ばれ自立を促されていた。
趣味はダーツ。2021年1月5日、元AKB48の板野友美と結婚した。
村上宗隆
プロ入り前
父と兄の影響を受け5歳から野球を始める。熊本市の小学校の軟式野球チームで野球を始める。6年で硬式野球チーム『熊本東リトルシニア』に入る。熊本市立長嶺中学校2年冬に九州選抜チームで台湾に遠征。増田珠、西浦颯大らとチームメイトになる。 九州学院高等学校では1年から一塁手のレギュラーに定着。甲子園にも1度出場。当時から長距離砲として騒がれていた。
2017年10月26日のドラフト会議において、抽選で清宮幸太郎を外した東京ヤクルトスワローズと読売ジャイアンツと東北楽天ゴールデンイーグルスの3球団が競合し、抽選の末にヤクルトが村上の交渉権を獲得した。11月12日に契約金8000万円、年俸720万円で仮契約を結んだ。背番号は55。高校時代の守備位置は捕手と一塁手であったが、プロ入り後は三塁手にコンバートされ、登録も内野手での入団となった。
ヤクルト時代
2018年は9月16日に一軍昇格、同日の広島戦に「6番・三塁手」で先発出場し、2回に初打席初本塁打を記録した。これが2000年代生まれの選手が一軍公式戦で記録した日本プロ野球史上初の本塁打となった。
2019年は「6番・三塁手」で自身初の開幕戦先発出場。19歳1か月での開幕戦先発出場は、球団記録。村上は本塁打や打点に関する数々の高卒2年目以内、未成年での記録を塗り替え、最終的にチーム唯一となる全143試合に出場し、36本塁打、96打点を記録した一方、打率は規定打席到達者としてリーグ最低となる.231、三振数に至っては2004年に岩村明憲が記録した173を上回る184を記録し、セ・リーグ記録および日本人選手最多記録を更新した。オフの契約交渉では、4500万円という条件で契約を更改した。最優秀新人(新人王)。
2020年は、「4番・三塁手」での起用となった。120試合に出場し、打率.307(リーグ5位)、28本塁打(同2位タイ)、86打点(同2位)、130安打(同5位)、30二塁打(同2位タイ)を記録した。また出塁率.427、長打率.585、得点圏打率.352、OPS1.012、87四球はいずれもリーグトップであり、自身初の打撃タイトルとなる最高出塁率を獲得した。
20歳シーズンでの最高出塁率獲得と全試合4番出場は共に史上最年少記録となり、2年連続の全試合出場も記録した。一方で、三振数はリーグトップの115、失策数はリーグ2位の14を記録した。オフの契約交渉では1億円(前年から5500万円増)という条件で契約を更改した。
2021年、前半戦の全83試合で4番打者を務め、26本塁打(リーグ2位)、61打点(リーグ3位)を記録。後半戦は.250台だった打率を大きく上げながら、ハイペースで打点を量産しチームを首位に押し上げる原動力になる。9月19日には、史上最年少となる21歳7か月で通算100本塁打に到達し、1989年に清原和博が記録した21歳9か月での達成記録を32年ぶりに塗り替えた。
それでも自身初となる本塁打王のタイトルを岡本と共に獲得した。四球数は2年連続リーグトップとなる106を記録し出塁率も前年に引き続き4割をクリア。OPSはリーグ2位の.974を記録し、長打出塁両面でチームトップの成績を残し全試合四番スタメンとして出場し自身初のリーグ優勝に大きく貢献した。
選手としての特徴
打撃
スイングスピードの速さと桁外れの飛距離が特徴。逆方向への長打力を備え、以前は内角を苦手をしていたが改善されてきている。
守備・走塁
50メートル走6秒1、捕手での二塁送球タイムは最速1秒84。内野手として守備力が課題となっている。
身体能力
デッドリフト200kg、ベンチプレス110kg、右手握力72kg、左手握力71kgという身体能力の持ち主。
人物・エピソード
愛称は「ムネ」。
チームメイトの山田哲人と仲が良い。オリックス・バファローズの西浦颯大とは、小学校時代からの親友でライバル関係にあり、小・中学校では何度も対戦していた。
塩見泰隆
プロ入り前
小学生の頃から軟式野球を始め、中学時代は海老名リトルシニアに所属して高校は武相高等学校に進学する。
高校時代は、2年生の秋からレギュラーに定着。甲子園には出場していない。
高校卒業後は帝京大学に進学。1年時から試合に出場し、3年生の春のリーグ戦では打率.279、17安打、
本塁打1、11盗塁の成績を残した。同期には青柳晃洋、西村天裕らがいた。
大学卒業後はJX-ENEOSに入団。1年目は膝に怪我を負ったが、2017年の2年目から1番・中堅手でスタメン出場。計19試合、打率.282、本塁打1、10打点の成績を残した。
NPBドラフト会議で東京ヤクルトスワローズから4位指名され、契約金4,500万円、年俸1,000万円で入団した。背番号は9。
プロ入り後
2018年は、7月31日に一軍に初昇格、その日の広島東洋カープ戦で「5番・右翼手」で一軍デビューした。通算25打席目でプロ初安打を記録した。
2019年は、開幕一軍入りを果たすも、プロ初本塁打を打つ。
2020年は、開幕から「5番・中堅手」でスタメン起用され、2戦目に神宮球場での初本塁打を打った。最終的に打率.279を記録する。
2021年は、開幕戦で「6番・中堅手」でスタメン起用する。中軸に座り、村上宗隆と共に打線を牽引した。5月下旬には1番に完全に固定された。9月18日の読売ジャイアンツ戦で史上71人目76度目のサイクル安打を達成する。
月別の成績に大きなムラがあり、佐藤輝明に次ぐ156三振を喫したが、持ち味の長打力のある打撃を見せて14本塁打、出塁率.357、OPSは.798を記録。走塁面でも高い盗塁成功率を記録し、守備面でもファインプレーをしてチームの勝利に貢献する。
中軸からリードオフマンと役割に応じて結果を残し、大きな故障もなく初めて規定打席に到達するなど飛躍の年となり、レギュラー1年目にしてリーグ優勝に大きく貢献した。クライマックスステージでは1番打者として活躍する。
選手としての特徴
走攻守、三拍子揃った外野手。守備範囲が広く、打撃はリストが強くパンチ力もある。
人物
趣味はゴルフ。
元バレーボール選手の父親と元陸上選手の母親を持つ。
大学の同期の青柳とはよく連絡を取り合う仲である。
練習中に歯を折ったことがある。
ペナントレースの勝ち上がり
2022年の東京ヤクルトスワローズの勝ち上がり
開幕前
昨年は主力選手が故障から復帰して、若手投手陣が昨年から成長して12球団1位の得点力を誇る打線と打者有利の神宮球場でチーム防御率3位投手陣を有するなど大きく生まれ変わり、2年連続最下位から20年ぶりの日本一と最高の結果を残した。
今年は外国人助っ人(サンタナ、サイ・スニード)を補強して、オスナを残留させて、元メジャーリーガーの外国人投手2人(A・Jコール、アンドリュー・スアレス)の獲得に成功する。
前半
開幕3連勝で始まりその後4連敗を喫して波に乗り切れなかった。投手は安定していたが打線はあまり振るわなかった。低調な打線を投手陣や守備でカバーして5月に首位に立った。
6月の交流戦は主軸の山田、村上、塩見が好調を維持して下位打線も調子を上げて交流戦最多の本塁打、12球団1位のOPSを記録した。
投手陣は奥川を欠いて、先発は小川・高橋に依存するが痛手にならずリリーフ陣の層が厚くなり投手力で勝つ試合が増えた。
投打ともに圧倒的な数字を残して、福岡ソフトバンクホークス、西武ライオンズをスイープして歴代最高勝率.778を記録して交流戦完全優勝を果たした。6月にはマジック53が点灯した。
後半
7月に入って、塩見と山田がコロナのために離脱して先発投手陣が崩壊してチームは苦しくなった。後半になっても、山田は不調が続いて、前半好調だったサンタナも失速して投打ともに脆弱になって負けが込んだ。DeNAに追い上げられて月末に直接対決を迎えた。
村上が3戦4ホームランと獅子奮迅の活躍を見せてカード3連戦をスイープし、チームは再び勢いを取り戻した。
9月も先発陣が崩壊して低調な内容の試合が多かったが、再点灯したマジックを着実に減らして、マジック2で迎えた9月25日のDeNA戦を丸山和都のサヨナラ安打で勝利して優勝を決めた。チームとしては92・93年以来の2度目のセリーグ連覇となる。
村上は日本人選手のシーズン最多本塁打記録の56本塁打を記録した。史上最年少の三冠王を達成した。
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