日本ハムファイターズBIGBOSS(新庄剛志)新監督の紹介 1

プロ野球観戦記

新庄 剛志は、日本の野球監督、元選手(外野手、内野手・右投右打)。長崎県下県郡美津島町(現:対馬市)生まれ、福岡県福岡市南区育ち。タレント、実業家、クリエイター(商品プロデューサー、画家、YouTuberなど)、地方競馬全国協会(NAR)の馬主としての側面も持つ。元妻はタレントの大河内志保。紺綬褒章受章(2007年)。2022年シーズンより北海道日本ハムファイターズの監督を務める。監督としての愛称・並びに登録名は「BIGBOSS」(ビッグボス)。

【選手だけじゃない】BIG BOSS 新庄剛志【注目監督の現役プレー集①】
新庄剛志の現役時代

人物

【阪神】新庄剛志の野球哲学 プロ野球 阪神タイガース 亀山努 Japanese sports guide Baseball NPB live scores.
新庄剛志
  • プロ野球選手としてNPBで14年間プレーしたほか、MLBでも3年間プレーした元メジャーリーガーでもある。
  • 現役時代は意外性あふれる打撃と強肩を生かした守備で、規格外の人気を獲得した。
  • ゴールデングラブ賞を計10回獲得している。
  • 印象的なプレースタイルや言動、立ち居振る舞いから「記録より記憶に残る選手」とも称される。
  • 2006年限りで現役から引退した後にインドネシア・バリ島へ移住した。
  • 2019年に再びプロ野球選手を目指すことを公表し、引退時には任意引退の手続きがとられていたため、同年11月27日付でNPBより自由契約選手として公示された。
  • 2022年シーズンより北海道日本ハムファイターズの監督に就任。

性格

  • 幼少時から相撲大会で負けて泣いた翌日には再挑戦し優勝するなど負けん気の強さを持っている。
  • 幼少時から父親より「不言実行」の教えを受けてきたが、自身は目標ごとについては「有言実行」を目指す考えである。「究極のプラス思考」とまで評されるポジティブな性格である。
  • トレードカラーと背番号・登録名 好きな色は「赤」。好きな数字は「1」。シンプルで格好いいからという。
  • 外国語MLB在籍時には自身の時間や精神的余裕を確保するためにも専属通訳を通して取材を受け、チームメイト等とは大きなジェスチャーを交えコミュニケーションをとっていた。
  • 阪神で同僚時のマーク・ジョンソンは新庄について「No.5にはカリスマがある。
    彼が打つと甲子園は世界一熱狂的なボールパークになる」と評した。
  • MLB移籍以降には、その楽しそうにプレーする姿を指した愛称「SHINJOY(シンジョイ)」が浸透した。

対人関係

首脳陣

さようならノムさん
新庄と野村監督
  • プロ入り時の二軍打撃コーチであり、阪神で長年に渡り指導を受けた柏原純一を師匠と慕う。
  • 野村は阪神監督に就任した1999年から新庄を度々4番打者に据え、抜擢の理由を
    「地位が人を育てる」と説明した。

チームメイト

亀山努 新庄剛志 山田勝彦 3人で焼肉を食べる
新庄剛志と亀山努と山田勝彦
【㊗️新庄新監督就任】メジャーリーグでも愛された男新庄剛志!!バリーボンズとのエピソードも!!
新庄とボンズの関係
  • 阪神時代の同学年の広沢好輝とは親友で、阪神時代から日本ハム時代まで自主トレーニング等も共にした。
  • 阪神時代のマーク・ジョンソンやトニー・タラスコ、日本ハムではフェルナンド・セギノールなど、来日する外国人選手とすぐに打ち解けあい、阪神時代には来日後の早い段階で解雇されていた外国人選手たちを擁護する発言もしている。
  • MLBでの初所属チームとなったメッツでは、当時から日本でも知られていたマイク・ピアッツァと合計2年間同僚となり、公私にわたる交流があった。
  • 誰もが一歩距離をとってしまう存在であったボンズとの親交を深めた。
  • 日本ハム時代の同学年の岩本勉とは、チームを北海道に定着させるという方向性が一致したこともあり意気投合。二人でキャンペーン等にも参加した。

球団関係者

ドラフト時に九州地区を担当した渡辺省三スカウトは新庄の気持ちが前へ出る性格も高く評価していたが佐々木主浩とは、阪神時代のオフに佐々木のラジオ番組へゲスト出演するなど親交があり、1995年の対戦にて放った本塁打性の打球が応援旗により阻まれた件について、もし妨害がなければ本塁打であったか否かを言い合うという。

新庄を取り巻いた人種差別

ジャイアンツ時代は白人至上主義者で知られるジェフ・ケントからバリー・ボンズ一派として陰湿な嫌がらせを受けたといい、それ以外にもボンズとケントの対立が織り成すギスギスとしたチームの雰囲気、日本人メディアが受けたケントからの人種差別からメッツ時代にほぼ必ず日々行っていた試合後の日本人メディアへの取材対応もやめてしまった。

新庄選手の人物的な特徴

ホームゲーム打席登場曲には福山雅治の曲も数曲起用した。

幼少時から努力している姿を人には見せない性格である。

愛称

  • プリンス 冠がつく場合もある。
  • 宇宙人 他人には予測できないパフォーマンスや性格から。阪神時代に敬遠球を打った新庄を当時の監督・野村克也がこう称し、メディアが使い始めた。本人はこの呼称については不快に思っている。
  • ツー 名前の「ツヨシ」という読みから。阪神時代に親友の広沢好輝らからこう呼ばれて、その継承。日本ハム時代は同学年である岩本勉らから「ツーやん」、後輩から「ツーさん」と呼ばれた。
  • BIG BOSS (ビッグボス) 監督就任記者会見で自らその呼称を呼びかけた。

長身で体脂肪率がとても低い。握力が強く背筋力は阪神で一番ある。

経歴

「新庄少年」伝説
新庄の高校時代
1992年、阪神タイガースデビュー当時の『新庄剛志』
新庄のプロデビュー
  • 福岡市立長丘小学校時代に8回の交通事故に遭うが、いずれも大怪我は負わずにすんだ。
  • 野球へのめりこむきっかけは、漫画・アニメ『キャプテン』との出会いでもあった。
  • 1987年、高校は父親からの薦めもあり西日本短期大学附属高等学校へ一般生として入学し、硬式野球部員として寮生活を送った。高校時代に部の全国大会出場は叶わなかった。
  • 同年のプロ野球ドラフト会議にて阪神タイガースから5位指名を受けた。
    この際の能力評価は横溝桂スカウトによると「打力:B、走力:A、肩力:特選A」であり、横溝のスカウト歴で高校生選手の肩に「特選A」をつけたのは新庄のみである。
  • 契約金3700万円・年俸360万円(金額は推定)、背番号は「63」と決まった。

野球選手としての特徴

成績

守備において、NPB・リーグ外野手のレンジファクター (RF/G) 年間1位を3回(1993年、1998年、2004年)、2位を4回(1994年、1996年、2000年、2006年)記録。MLBでは2002年にリーグ外野手および中堅手の同指標 (RF/9) 1位を、リーグ中堅手のTotal Zone Runs (TZR) 2位を記録。

外野守備機会でNPB/MLB通算100補殺以上を記録している。受賞歴としては、NPBのゴールデングラブ賞を受賞資格(チーム試合数の1/2以上を同じ守備位置で出場)を得た年は、1995年以外全て受賞している(外野手部門を10回)。

打撃において、年間での打率3割や30本塁打に到達した経験はない。生涯成績ではNPB/MLB通算1500本安打・NPB通算200本塁打といった節目の記録に到達している。

走塁において、年間盗塁数は一桁台の年がほとんどであるが、阪神時代に年間のチーム最多盗塁を3回(1993年、1997年、2000年)記録。年間三塁打数は阪神時代にリーグ最多を2回(1994年、1999年)記録している。

守備

守備位置の遍歴

プロ入り前より外野手であったが、1年目の1990年に中堅手から内野の遊撃手へ転向した。

内野守備

プロ1年目の1990年シーズン中に中日・立浪和義遊撃手の守備から刺激を受け、自らコンバートを志願して遊撃へ転向した。

外野守備

新庄のスーパープレー
新庄の守備1

全般

MLBでの通算UZR/150は11.8で、セイバーメトリクス的にはMLBのゴールドグラブ級に近い守備力を持つ選手である。NPB公式戦での外野守備は全て中堅手としてであり、中堅守備について自身は、投手の動きがよく見えて投手へ助言できるからと好む。

ポジショニング

ボールカウントなどの状況や、投手と打者の特性の組み合わせにより、独断で頻繁に時には大幅に立ち位置を変える。また中堅から両翼の選手へ指示を送るリーダー的存在である期間が長く、自身が二塁守備へまわった際にも、その場から先輩外野手へ合図を数度送っていた。

構え

自身は少年野球の子供達にも向けた提言として「投手の投球モーション時に上半身を屈める構えは、外野への打球の大部分である飛球の場合に上体を起こすことで一瞬目線が浮き上がり、それだけでスタートが遅れてしまう。自分の場合は常に上体を起こして体の力を抜いた状態でいて、小刻みなステップを踏みながらスタートのタイミングを計る」と解説する。

打球判断

新庄の守備の優れている点として「打球を予測する勘、嗅覚」が挙げられる。走者が次々塁を狙った場合に余裕で補殺できると判断すると、狙わせるためにあえて捕球を遅らす。

捕球

阪神 新庄 ファインプレー集
新庄の守備2
  • 平凡な飛球でも落下点へ入った後に軽くジャンプしながら捕球するというスタイルである。
  • 自身はその利点について「走り込んできて、フライ性打球は上方向、ライナー性は横方向へ早めにジャンプして、その頂点で打球を見ることで目線が一瞬止まり(ぶれを防ぎ)、打球の急な変化に対応できる。
  • そして着地しながら捕球することで、打球の勢いを吸収できる。さらに着地後には、その勢いですぐにスローイング(送球)できる」。

送球

新庄ファインプレー
新庄の守備3

捕球してから送球に移るまでの動作時間が速い。内野手の中継に送球する前の飛球捕球や、跳ねたクッションボールを素手の右手で捕る際などには、スローイング体勢に入りながら捕球する。若手時より球界の人間からも強肩と評される。

他の野手との連携

他の野手の守備へのバックアップを怠らない。MLB時代の2002年には中堅手としてランダウンプレイに加わり刺殺を記録した。

打撃

201 【阪神ホームラン集】虎のプリンス★新庄剛志
新庄剛志のホームラン

全般

  • 投球初球からでも積極的にスイングする。
  • 直観的で他の打者とはボールの待ち方が独特なので、投手からはやりにくく思われやすい。
  • プルヒッターである。
  • 比較的に直球を得意とし、フォークボールなどの落ちる球種をはじめとした変化球を苦手とする。

構え

両手を伸ばしてバットを高く掲げ、呼吸をするように幾度か全身の背伸びを繰り返す。

フォーム・スイング

一本足打法の時期が殆どである。

走塁

新庄剛志好走塁Tsuyoshi Shinjo Baserunning
新庄のランニング

ベースランニング

ストライドが広く、一つ塁を回って以降のトップスピードが速い。

スライディング

阪神時代にヘッドスライディングを行い左肩を二度故障して以降はこれを封印するが、2004年のオールスターゲーム第2戦では球宴を盛り上げるためにと試みた本盗時に敢行している。

打者走者として一塁へ駆け込む際では珍しい、守備側選手との接触を回避するための足からのフットファーストスライディングをMLB時代以降に稀に敢行し、2001年の「カミカゼ・スプリント」と称される併殺を阻止した走塁の際にも足から滑り込んでいる。

野球用具

新庄のユニフォーム姿

グラブ

ゼット社製:外野手用初任給を使い7,500円で購入し、MLB時代の同僚に誤ってスパイクシューズで踏まれて大破損したりと4回の大補修を重ね、現役引退まで使用した。

保管の際の湿気などにも気を配り、自身の「もうひとつの手」と称する拘りの代物で、現役の間は他人がはめることを許さなかった。

打球の手元での急変化に対応するため、ポケットが「土手・中央・ウェブ・ウェブ先端」の4か所にあり、ウェブ先端部分から外側にボールが半個分ほど飛び出した状態でも捕球できるという。使用時は手との固定のため、守備用手袋に松脂を塗布する。

バット 他

オールドヒッコリー社製 (Old Hickory Bat Company) :素材ロックメープル・34インチ・890g(2006年)他。

エルボーガード

打撃時の投手側に向ける肘を死球から守る防具。

スパイクシューズ

長年の足の故障を考慮しての改良を度々行い、主にミドルカットタイプを着用した。

ユニフォーム類

NPB時代はユニフォームを製作しているデサント社およびミズノ社へ特注して、上着は既製品と比べて胸元部分が深くV字型に開き、袖部分が短くタイトなものを着用した。

日本ハム時代のズボンも特注の、裾がラッパ型に広がってスパイクの底の近くまで被さるものを着用した。また日本ハム時代はズボンの臀部付近や帽子のつばなどにも見た目を良くする加工を施した。

アンダーシャツは主に、汗が首筋をたれ落ちるのを防ぐためのタートルネックで、夏場はノースリーブのものを着用した。

リストバンド

主に長いものを両手に着用し、日本ハム時代には短いものを2枚(隙間をあけて)ずつ着用することもあった。色はNPB時代は主に自身のトレードカラーである赤。

ファッション・美容・趣味・嗜好

新庄の着こなし

ヘアスタイル

染髪を好み、現役時代にはプロ2年目の3色メッシュほか、緑色や金色に染めたこともある。また、帽子を被って乱れた髪は見せたくないとの理由から、球場ではベンチにおいても常に帽子を着用していた。

服装

阪神時代初期にヴェルサーチの服などを愛用。

香水

球場においてもベンチの汗臭さにたまりかねて、タオルやリストバンドに香水をつけていた。

真っ白い歯・美容整形

阪神時代の打撃時に食いしばり欠けた歯が痛くて集中力が低下し、食事も満足に出来ない時もあったため、また歯の黒ずみを嫌い、約500万円(最終的には合計約2000万円)をかけて真っ白い歯(歯冠補綴物)に総入れ替えした。

愛車

自動車好きである。また、バイク好きとしても知られる。

収入・経済状況

メジャー挑戦前は無謀な散財から貯金がゼロに近かったというが、メジャー挑戦を機に収入が増え、野球が事実上の副業となるほどスポンサー収入に恵まれるようになった。

食生活・その他

少年時代から少食であった。ひどい甲殻類アレルギーのため、エビやカニが全く食べられず、エビを主原料とするスナック菓子でも無理だという。生魚も苦手で、馴染みの寿司屋では自身のみにしか出されない特別メニューである好物の黄粉餅を注文していた。

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